2014年もあっという間に4か月が過ぎ去り、気がつけば、1年の1/3が終わりました。

そんな暦の上で、日本には海外から伝わった行事や新しい行事を始め、平安時代や室町時代から続く伝統的なものまで様々な行事が行われています。

そして、春の花が咲き乱れ、葉っぱや木々もキラキラと輝くこの時期に行われる行事といえば、端午の節句。3月3日のひな祭りは女の子のお祝いなのに対し、5月5日は男の子のお祝いの日ですね。

今回は、三人官女の一人はお歯黒!? 子どもに教えたい日本の季節行事『ひな祭り』の豆知識[https://ure.pia.co.jp/articles/-/21258]に続き、子どもに教えてあげたい季節行事として、「端午の節句」について、ご紹介したいと思います。

 

端午の節句は元々女性の節句だった!?

「端午」とは本来、月の始めの午(うま)の日でしたが、午〔ご〕と五〔ご〕の音が同じなので、毎月5日を端午というようになり、また、奇数が重なることがめでたいとされることから、5月5日が端午の節句となったと言われています。

この端午の節句は中国から伝わった風習で、当時は野に出て薬草を摘み、その中でも菖蒲やヨモギを軒先に吊るしたりして邪気を払うものだったのだそうです。

そして、日本では、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前にけがれを祓って身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付いたと言われています。

そんな訳で、端午は元々女性が関わる行事だったという説もあり、最初から男の子の節句だったというよりは、この時期に疫病や邪気を払うために始まったとされています。

 

江戸時代に男の子の節句に

平安時代までは宮中の行事でしたが、江戸時代に入り、武士たちは、「菖蒲(しょうぶ)」の音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)=武道を重んじる」と同じであることから、「端午の節句」は、「尚武(しょうぶ)」の節句として、武家の間でお祝いをするようになりました。

そして、男の子が生まれると、健やかな成長と一族の繁栄を願う大切な行事となっていきました。徳川幕府は5月5日を重要な式日と定め、将軍に男の子が生まれると、馬印やのぼりを立て、祝うようになったのだそうです。