杉山さん修行時代を語ってもらった。

―修行を辞めたいとか、思いませんでした?

「最初のころは早く日本に帰りたかったですね。でも“(帰るまで)まだ、こんなに時間がある”と思っていたのが、いつの間にか“あと、これだけしか時間がない”って思うようになって。そのころですよね、この仕事を一生の仕事にしよう! って思えるようになって」

ゲゼレ取得のおりにくれた、忘れられない師匠の言葉があるそうだ。

「真似を、するな。お前が、日本人の口に合うものを作らなければならない」
「伝統を守れ、ではない。食は日々、変化している。それに対応できるようにしろ。それが、幸せを生む」

格好いい。誇り高きドイツの職人の言葉だ。

磨いた腕を引っさげ、杉山さんは帰国。25歳のとき。しかし本場ドイツの味は、日本人の味覚とは少し違っていたようだ。
「“あのころの味はマズくて食べられなかったね~”なんて常連さんに言われます」

ここで杉山さん、遅れてきた青春を取り戻すかのように趣味のフルートに熱を上げてしまう。社会人ブラスバンドに加入し、3つの音楽教室に通う日々・・・。
磨いた腕も、徐々に曇っていってしまったようだ。

そんなとき、ハンス師匠が弟子である杉山さんの様子に見に来日。
杉山さんの作ったソーセージを食べ、激昂してしまう。(師匠、激おこ!)

「何だ、これは!? 破門だっ! って言われてしまいまして・・・。必死に謝って許しを請うたんです。そのときに出た条件が2つで、まず“友人関係など、楽しいと思うことにはすべて縁を切ること”、そして“コンクールに出品しなさい”だったんです」

ここから杉山さんの、たった1人の戦いが始まる。

本牧からコンクールへ。世界最高峰のものを。

市場に行き、目で見て触ってみて、実際に口にしてみて、本当にいい肉を探す。
(失敗をして、涙を流すほどに悔しいこともあったそうだ)
日本人の口に合う、本当に美味しいと思えるもの作りに邁進していったという。

そしてドイツ農業振興協会主催の国際品質競技会へ出品。結果は見事に賞を獲得。

ドイツの加工食肉製品は、味付けが濃い(塩味が強い)という。杉山さんは、日本人の口に合う味付けをしつつ、向こう(ドイツ)の人たちも納得をするものを作った。

 

歴代の賞状たち

「そのうちに、コンクールが楽しくなってきました」と杉山さん。

7回ものコンクール入賞を経て、ついには大会から「殿堂入り」の栄誉を受けた。

 

本場・ドイツで最高の栄誉を