石原隆×鈴木雅之作品の鉄板タッグ
見たことがある人は分かると思うが、これらの作品には共通のテイストがある。登場人物を正面から撮ったアップの多用であったり、シンメトリーの画面構成であったり、クラシカルな音楽での盛り上げだったりがそうだ。そして、登場人物が多くても、それぞれのキャラクターが立っているというのも大きな特徴となっている。
要するに、『HERO』のお馴染みのテイストは、突然生まれたわけではなく、ある時期のフジテレビを代表する、安心・安定のフォーマットの上に成り立っていたのだ。
そういう意味では、2001年に『HERO』が始まった当初、ドラマ好きからすればやや新鮮味がなかったとも言える。はいはい、あのパターンね、と思った人も多かったに違いない。
それでも見始めるとこのテイストはやっぱり面白くて、途中で切るという選択肢はなかった。主演の木村拓哉を目当てで見始めた人も、おそらく同じ気持ちだったんじゃないだろうか。絶対無二ではなかったにしろ、この個性的なテイストは『HERO』の大きな魅力だった。
検察を舞台にした群像劇というコンセプト
ラブストーリーが多かった月9で、検察官の仕事そのものにスポットを当てたことも『HERO』が成功した要因だった。検察官をメインにしたドラマはそれ以前にもあったが、月9で、しかも『やまとなでしこ』の後番組で、検察官の仕事がストーリーの中心になっていたのはかなりインパクトがあった。
しかも、『HERO』は単なるお仕事ドラマではなくて、人間ドラマとしての完成度が高かった。事件に関わる被疑者、被害者の心情だけでなく、起訴するかしないかを判断する検察官たちも人間くさく描いていた。
もともと『HERO』は、木村拓哉が集団のなかにいる群像劇、というコンセプトで企画が進められていたので、木村拓哉以外の登場人物もみんな魅力的だった。そういうコンセプトがしっかりしていたからこそ、連ドラのシーズン2で城西支部のメンバーが多く入れ替わっても魅力が維持できたんだと思う。
さらに『HERO』というタイトルからは勧善懲悪のストーリーがイメージされるが、このドラマでは、事件に大きい小さいは関係ない、クロと判断できなければ起訴はしない、などといった、ストーリーを構築する上でのベースがしっかりと守られていた。
これは検察官という仕事の大事な部分をエンタメで汚すことはなかったし、人間ドラマとしての深みを増すことにもつながった。こうしたコンセプトが企画段階からしっかりしていたのも、『HERO』が多くの人に支持された理由だと思う。