「俺の稼ぎで生活できている」が正面から否定されるとき
夫は自分の仕事が好きで、成績も良く社内での評判が高いことにプライドを持っていました。
「俺の稼ぎで家族を支えている。俺は偉い。俺はすごい」
そう思うことで、しんどいときもモチベーションを上げ、本気で「家族のために」頑張ってきた、といいます。
ですが、その一方で家のことは何もしない自分を正当化し、妻に感謝の言葉をかけることもなく、いたわることもなく、赤ちゃんの夜泣きでつらい様子を横目に見ながら「俺は明日も早いんだから、静かに寝かせてくれよ」と平気で口にしていました。
妻が大変なのは当たり前。だって、俺は仕事があるんだから。
お前たちのためなんだから。
そんな自分が妻や周りにどう映っていたのか、この話し合いをきっかけに夫は知ることになります。
妻は「夫に外での労働を強制された」ことを実家の両親に伝え、両親が揃って家までやってきました。
「君は家族のためだと言うが、その嫁が病気で苦しんでいる姿を見ても平気なのかね」
「あなたは娘も孫も全然大事にしていない。参観日すら仕事を優先するなんて、それで家族のためと言われても、孫たちの気持ちはどうなるの」
「私たちがいなければ、娘たちはどうなっていたか」
次々と出てくる批判はまさに夫にとって青天の霹靂であり、両親の後ろで暗い顔をして座っている妻の姿は、“見たこともないくらい憔悴していた”そうです。
「俺の収入で生活できているので」と何とか反論しても、
「金さえ稼げば家族はおろそかにしてもいいのかね?君はいったい誰のおかげで毎日会社に行けているんだ」
「お金があっても、それで娘たちが不幸な生活になるなら意味がありませんよ」
と、妻の両親は「俺の頑張りを認めてくれなかった」のです。
「俺が、悪いのか?」とやっと思い始めたとき、妻から出たのは
「外で働くことを強制するのなら、子どもを連れて別居する」
というものでした。
「稼ぐ自分は偉い=家事も育児もしなくていい」という幻想
結局、夫はそれ以上妻の両親に反論することができませんでした。
このことを友人に話すと、「その親もだいぶ過保護だよな。男が仕事して家族を養って、それに感謝するのが筋だろ」と同情する人もいる一方で、「そりゃお前が悪いよ。嫁さん、毎日お前の弁当も作って家のこと全部やってたんだろ?逆の立場だったらお前は何て思うわけ?」と呆れる人もいます。
俺は間違っていない。ずっとそう信じてやってきたのに、実はそう思われていなかった。今や妻は帰宅しても口をきかず、以前から母親にべったりだった子どもたちは前にも増して自分には近寄らない。
誰も味方してくれる人がいない家庭の中で、初めて夫は疎外感を味わい、妻の両親から責められたシーンが何度も頭をよぎっては胸が苦しくなる日々でした。
妻は、昔は給料の明細を渡すと「今月もお疲れさま」「いつもありがとう」と言葉をかけてくれていた。それがなくなったのは、いつからだろう?
子どもたちの行事について、何も聞かされなくなったのはいつからだっけ?
入学式の日すら、「無理に来なくてもいいから」と妻に言われたことを思い出し、「俺は信頼されていなかったんだ」と改めて夫は気が付きます。
「家族のためって頑張るのは確かにいいんだろうけど、だからといって家事も育児もしなくていいなんてのは、ただの幻想だよね。
どんなに会社で評判が良くても、それが家族に何の関係があるの?その評判のために家族は犠牲になるのが当然なの?」
古くからの女友達にこう言われたとき、夫は黙るしかありませんでした。
*
この夫は、自分のしていることが妻を傷つけ、苦しめていることを見過ごしてきました。
妻が実家に帰ったときですら「面倒なことが減って良かった」と思う始末で、妻の両親がどう思うか、「会社の中ではなく、世間の評価」を忘れていたのですね。
いま、妻はまだ家にいますが、もう外で働いてくれとは言えず、夫は自分がこれからどうするべきか悩んでいます。
その苦しみが、今度こそ家族を大切にするきっかけになればいいなと思います。