人に迷惑をかけたら「ごめんなさい」「ありがとう」と言える子に
健常の子どもだって得意、不得意や苦手なものがあります。
何でもまんべんなくオールマイティーな子に育てようとせず、出来ないときは誰かに頼る力を育てることも大切です。
また人間だれしも誰かの役に立つ“貢献意欲”があります。頼ってもらえたことで、相手は自分の承認欲求を満たすことも出来ます。
そして、相手に「ありがとう」。迷惑をかけたときは「ごめんなさい」と言えれば良いのです。
いじめを回避するには
いじめが自分の身に起ったとき、直ぐに先生に言いつけに行ったり、親にいじめられていることを訴えたりすることができる子どもは、周りの大人もそのSOSで気づくことができます。
子ども間でも「あいつに言うと大人にちくられる」となり、その後もいじめのターゲットになり続けることは少なくなると言われています。
けれども、親から“他人に頼ることや弱音を吐くことは悪いこと”とインプットされすぎている場合は自分で抱え込み、親にも相談できず悩み、苦しみます。そうなると「あいつにやっても他言しない」と思われいじめがエスカレートしていきます。
訴えられない子どもの中には、幼い頃から「我慢すること、弱音を吐かないことは美徳である」と教えられ「いじめを受けている自分をさらけだすことは恥ずかしいことだ」「親を落胆させてはならない、心配をかけてはならない」と極端に思い込んでしまい、親にも先生にも言えずにいます。
別の視点から見て見ると?
一見、耳に心地よい方針も裏っ返せば
- 人に迷惑をかけない子……困ったときに人に助けを求められない人
- どこへ出しても恥ずかしくない子……自分が他人からどう見られるかを最優先する人
- 我慢ができる子、弱音を吐かない子……「辛い、苦しい」と本心を言えない人
- わがままを言わない子……自己主張しない人、他人の批判を気にして自分の意見を言わない人
となります。幼児期にだけスポットライトを当てると一見いい子に見えることも、人の一生として長いスパンでとらえた場合、それが弱点になってしまいます。
何でも自分1人の力でやり遂げるように育てられた子どもは“人に頼ることは恥ずかしい”と思うようになります。
「人に迷惑をかけないように育てる」「どこへ出しても恥ずかしくない子に育てる」の子育てポリシー、少し緩めてみませんか?