ミュージカルとも違うコンサートの魅力
ミュージカルの中だと、劇中の歌は基本的に役として歌っていて、物語の中の一部として交流しながら演劇世界で表現するんですけれど、コンサートとなるとお客様を巻き込んでパフォーマンスしていく。
例えばシンガーがお客様ひとりひとりの目を見ながら「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」(『メリーポピンズ』)を歌ったりとか、お客様自身も参加しながら楽しめるというのは、それはコンサートならでは、だなと思いますね。
他のキャストでは歌えない本物の歌声
何よりも「ディズニー・ブロードウェイ・ヒッツ」の凄い所は、実際にブロードウェイでその役として演じた方たちが歌っているということ。
自分自身でも思うのですが、その役をやってコンサートで歌うのと、やったことがない役をコンサートで歌うのとでは、意識せずとも体に染み込んだものというか、その役を追求してきた者にしか表現できないものが絶対あると思っていて。
一緒に歌っていても表情などにすごく感情を動かされることが多いですよね。
もちろんそれぞれのディズニーコンサートにもそれぞれの魅力があるんですけれども、やはり実際にブロードウェイで演じていた方たちは、役への掘り下げとか、自分自身も役者としてディズニー作品に関わっているからこそ思うのですが、やっぱり深いんですよね、曲への解釈だったりとか。
自分自身も、例えばカジモドの曲をコンサートで歌うときの感覚って、やっぱり何か違うところが絶対にあるのは確かで。
それはやはり演出家の方とかと作品を作って掘り下げていく中での発見というのは得難いものなんですよね。
それを実際にブロードウェイでやっている方たちが、それが染み込んだ体で表現するというのは魅力だなと思います。
しかもブロードウェイで今やっていない作品だったりもするじゃないですか。
ブロードウェイに行っても観られないもの、聴けないものがこの日本で一堂に会して聴けるというのはこのコンサートしかないなという奇跡のコラボレーションだと思います。
ディズニーミュージカルが愛され続ける理由
僕は今まで4作品ディズニー作品に関わらせていただいたのですが、それのどれもがすごく個性豊かというか表現方法が幅広いですよね。
『美女と野獣』だったら、ものすごく王道に映画を舞台化・ミュージカル化して、非常に忠実にディズニーマジックを与えてくれる表現をしていて。
『アラジン』だったら、ものすごくショーアップしてきらびやかな世界で魔法が次々ときて。
『ライオンキング』は、それに対して前衛劇をやってらっしゃった演出家の方に演出を頼んで、様々な国のカルチャーを取り込みながら、とても挑戦をしながら生み出されて、それが大ヒットして今日まで上映されていますし。
『ノートルダムの鐘』だったら、とてもシンプル。大掛かりな転換があるわけでもなく、何か映像を使ったりとかそういうわけではなく、人間が自分たちの手でセットを変え、舞台上で衣装を羽織ることで人物が変わっていくとか。非常にクラシックな演劇の手法で表現されていて。
それぞれがチャレンジをしていて、それは本当に素晴らしいなと思いつつ、それでいてディズニーの根底に流れる「人間への愛」というか「生きることの素晴らしさ」みたいなものを一貫して伝えている。
それが子供からお年寄りまで幅広い人たちに支持され続ける理由なんだなと思いますね。
−『ニュージーズ』や『アナと雪の女王』も来年日本で上演されますが
凄く楽しみですよね。
『ニュージーズ』もようやく日本で上演されますし。
そういう意味では上演されると思って聴くとまたちょっと違った感覚になるじゃないかなと思いますよね。
『ニュージーズ』も前回は上演されるってことをお客さんも知らずに、こういう作品もあるんだという方が多かったと思うんですが、今回はこれも日本でやるんだなと思って聴くとまた違った楽しみ方ができるじゃないかなと思います。