スマステに見た、「SMAP的」なムードとは
『スマステ』は生放送である。
香取慎吾とどんなトークを繰り広げるかに注目が集まったが、フタを開けてみれば試食時における中居の正直っぷりがモロに出るという結果だった。
なんでもかんでも美味しいとアゲする「テレビの常識」に従わず、明確に否定はしないものの、決して無理矢理ほめることはしない、というギリギリのラインを保ち、それを彼なりの芸風にくるんで差し出した。
そこには「居直ることの愛嬌」があった。
ここでは、役割を全うすることよりも、期待を裏切ることで、テレビに新鮮さを与えた。逆に言えば、それもまた役割の全うであり、期待に応えることなのだ。
あの「あしらい方」には、SMAP的なものがあった。
香取と一緒にいるからSMAP的なムードが生まれたわけではない。テレビとはこのようにするものだ、というルーティンに、あからさまな反逆こそしないものの、安易に追従しないのがSMAPだった。特に、生放送時のSMAPはそうだった。その感覚が、『スマステ』出演時の中居にはあった。
やっていいんだよな?
とでもいうような、暗黙の了解が、両者にはあったのだろう。
それはテレビを壊すことではない。
テレビを輝かせるための、スパイスだ。
生放送の中居の振る舞い、そこから伝わるもの
さて『ミになる図書館』だが、20代、30代、40代、50代、60代の出演者チームを揃え、繰り広げられたクイズ大会は、とてもシンプルなものだった。
アタマではなく、カラダに訴えかけてくるのが生放送だと言わんばかりに。
アスリートのコーナーを要所に挟み込んでいるのは、中居のスポーツへの敬意がそうさせているわけだが、同時に、老若男女が「共有できるプレッシャー」を提示できるのが、アスリートの肉体に他ならないと知っているからでもあろう。
価値観が細分化したと言われて久しいが、それでも、横並びで享受できるものはある、というテレビ愛が中居にはあるのだと思う。
生放送だから、失敗は当然ある。この日も、意外な失敗があった。いや、失敗というより、期待はずれ、と言ったほうがいいかもしれない。
だが、中居は、きめ細やかなツッコミを入れる、ということで、その失敗を、人間的な現象に高めた。
温かい言葉をかけたりはしない。あくまでもバラエティであるということを踏まえた上で、絶対に失礼にならないツッコミを入れて、ほのかな笑いに変えた。
プレッシャーは、人を失敗させることもある。だが、その失敗もまた、老若男女が共有できるものなのだ。
人間は失敗する。
失敗するのが人間だ。
でも、失敗しても大丈夫。
オレが必ず回収するから。
中居の振る舞いは、そんなふうに映った。
ドキドキの根本は、プレッシャーと共有にある。
だから、プレッシャーも共有も、否定すべきものではない。
だって、ドキドキは素晴らしいものだから。
だから、中居正広は生放送を始めたのだなと思った。
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