なぜ世界中の人々がドイグの作品に共感してしまうのか?
ドイグはムンクやゴッホ、ゴーギャン、ゴヤといった美術史からの参照源や、『13日の金曜日』など大衆的な映画のイメージを元にして作品を描いているため、誰もがどこかで見たことあると感じてしまう。
しかし、それ以上に、何かを見たり感じたりするときの、感覚そのものを描いているからこそ、誰もが彼の絵画に共感を覚えて、自分のことのように見てしまうのではないかと、桝田氏は指摘する。
「彼の作品は、単に具体的な場所や、パーソナルな経験を描いているのではなく、むしろ、そうした光景に出会った時の感覚そのものを描いているからこそ、その光景を知らない人でも共感することができるのではないでしょうか」(桝田氏)
また桝田氏は、絵の具の質感を駆使した豊かな表現にも注目してほしいと語る。
「《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》では、画面が近景、中景、後景に分割されていますが、近景部分はまるで砂糖や塩が結晶化したような、半透明の厚みを感じさせます。
全く異なる質感が同居していますが、近景と遠景の色調を合わせることで、画面に統一感が生まれている。そのように、絵具の物質的な要素を巧みに使いながら作品を描いているところが、ドイグ作品の魅力のひとつです」(桝田氏)
「第2章:海辺で 2002年〜」では、トリニダード・ドバコに拠点を移して描かれた作品が並ぶ。
ドイグが暮らした7歳半までは、トリニダードは独立戦争の真っ只中だったが、その33年後、植民地からすでに独立したこの地を訪れたドイグは、どのようにトリニダードを捉えればいいのか不安な気持ちを抱えながら、トリニダードと南インドの絵葉書の風景や、地元のカーニバルの様子を描き出したという。
《ピンポン》(2006〜08年)では、ドイグの絵画表現の豊かさが見てとれる。卓球台の水平線とビールケースの抽象的な平面性によって、かえってその背後の空間が強調されている。
また、卓球相手があえて描かれていないために、卓球相手がいるであろう左側にあるはずの空間が想起される。
「ドイグの作品に繰り返し現れる水平線は、画面を分断しながら、その水平線がさらに左右へ続いていくかのような印象をかもしだす。
実際に絵の中に描かれている空間以上の広がりを想像させたり、物語の展開を想起させたりする。そのようにして、見るものの想像力を巧みに刺激するのです」(桝田氏)