親父みたいに息子と趣味を共有できる父親になりたい

撮影/鬼澤礼門

男にとって、父親は特別だ。ふたりにとって、父親とはどんな存在だったのだろうか。

「うちの親父はエンジニアで、職人的な人なんですよ。寡黙で、感情を出している姿をあんまり見たことがない。そんな父親だから、近所付き合いはおふくろの仕事でした。

おふくろはもう亡くなりましたが、親父は今95歳。元気なうちにいろんな話を聞いておきたくて、親父が遊びに来ると、いつも今までの話をしてもらって。そのたびに子どもの頃にはわからなかった親父のことがわかるようになって、どんどん好きになっているところがありますね」(阿部)

「僕も父も同じ11月生まれのB型。蠍座のB型って独特な人が多いと聞いたことがあります(笑)」(北村)

「ははは」(阿部)

「僕と父もそうで、性格は凝り性。釣りが好きだったときは、ずっと自分で浮きをつくっているような人でした。あと毎週月曜は父が料理をつくる日で、いつも前日から気合いを入れて仕込みをしたり。僕の凝り性なところは間違いなく父の影響です。

2人のときは、包丁の研ぎ石はあそこのがいいよとか、デニムのデッドストックはここがいいよとか、そんな話をよくしていて。革靴をシェアしたり、趣味嗜好が何から何まで似ていて。人付き合いがあまり得意ではない父の友達になっているような感覚ですね。いつか自分が子どもを持ったら、父みたいに息子と趣味を共有できる父親になりたいなと思います」(北村)

撮影/鬼澤礼門

子はいつか親元を離れる。その巣立ちも映画の中では感動的に描かれている。

「きっと親からしたら寂しかったと思うんですけど、家を出ることになった前日、僕は友達と飲んで家に帰ったら、みんな仕事でもう家に誰もいなかった(笑)。なので、引っ越し当日はあっさりした感じでした」(北村)

「そういうものだよね、現実は(笑)」(阿部)

「ただ父はやっぱり寂しいみたいで、それからはよく『今日飲もうぜ』みたいな連絡が来るようになりました。不思議なんですけど、親元を離れてからの方が親とのコミュニケーションが増えた気がするんですよね。

家にいたときは、ご飯がすんだら部屋にこもって携帯をいじってるのが普通だったけど、大人になってから実家に帰ると親と仕事の話をするようになって。社会人になったことで、より親と対等に喋れるようになりました」(北村)

「僕が家を出たのは確か25くらいのときで、さすがにもうその当時のことは記憶にないけど、離れてみて初めて親のありがたみがわかるというのは実感した覚えがあります。うちの親父はヤスのような押しの強い人ではなくて。教育はお袋任せだけど、その分、すごく働いて、僕たち子どもを育ててくれた。

この世界に入るときも、最後は親父に相談しました。そのとき、『チャンスがあるんだったらやればいい。もしダメだったらやり直せばいいんだから』と言ってくれて。その親父の言葉を頼りに若いうちは無我夢中でやってきたし、自分の人生の節目一つ一つで、親父の意見というのはすごく頼りにさせてもらいましたね」(阿部)