「なにかをする度に反発が起きるというのはすごい才能」(荒木)
荒木 『ソドムの市』はわたしにとっても、もう1回観たいような、観たくないような、ある種のタブーの映画だったんですよ。ただ今回の上映に合わせてプリントチェックをするために、あらためてスクリーンで観たんですけど、やっぱりパゾリーニの深い絶望のようなもの、だけど絶対に希望は捨てないではいられないというようなものがあって。この引きかれたような、生まれながらの表現者としての魂みたいなものにいつも感動するんですよね。
SYO やはり今回、僕が『ソドムの市』を観たいなと思ったのは、やっぱり体験として受け継がれていく作品だから、ということもありますよね。だからといって教授が学生たちにそれを薦めるのもすごいことだと思いますが(笑)、でもそういう力があると思うんです。「俺、『ソドムの市』観たんだぜ!」と言いたくなるような。それは本当に映画の力だと思いますね。
荒木 とにかくパゾリーニは、誰もやらないようなことをやろう、究極のことをやってやろうとしていたんですよね。そういうことを常に思っている作家がいるというだけで、60年代の映画の芳醇(ほうじゅん)さがあると思うんです。
パゾリーニは作品を発表する度に、常に訴訟を起こされたり、上映中止を命じられたりしてきたわけですが、なにかをする度に反発が起きるってすごい才能だと思う。
SYO 一生懸命作っているのに、事件が起こってしまう……。
荒木 ある種の人たちにとって、彼がやることは恐怖を感じさせるんでしょうね。でもそういう人がボコボコ出てきた時代って、やはり戦争の傷跡みたいなものがあって。めちゃくちゃになった世界の傷を回復させようとしていたからだと思うんです。あの時代の表現欲ってすごかったなと思うんで。
だから、むしろこれからの日本映画が面白くなっていくんじゃないかと期待しているんですけどね。とにかくパゾリーニを通して、映画ってなにやってもいいんだよ、ということが伝わったらなと思っているんです。
今の人たちの視点でパゾリーニを語ってほしい
SYO これだけエグいものを見せられてるのに、終わった後に「観てよかった」と思うのはなぜなんだろう?と思います。
荒木 『豚小屋』とか大笑いしませんでした?
SYO そうですね。すごいシニカルだなと思いました。『ソドムの市』のように直接的な描写があるのかなと覚悟していた部分もあったんですけど、そうではなく伝聞形式に近い。あえてそこを描かないがゆえのエグさというか、想像力に訴えかけてくる怖さでした。豚が出てくるだけでゾッとしますもんね。
荒木 『豚小屋』って本当に爆笑に次ぐ爆笑だったんですよね。だから本当に上映のときも真剣に観ないでほしいなと思っているんです。結構、ばかなこともやっていますからね。
SYO それってすごく大事だなと思います。パゾリーニについて語られているものって、どうしてもちょっとアカデミックになりすぎている気がしていて。そうなってくるとこちらも「知識なしに観ちゃいけないのかな」という気持ちになってしまう。だから真剣に観なくていいと言っていただけると、すごくありがたいです。
荒木 映画の書籍は、研究者のものが多くなりますしね。でも普通に映画を観てどう思ったかといった感想はネットにあふれていますから、こちらも重要。今の人たちの視点で、パゾリーニを体験してどう思ったか、どんどん語ってほしいです。
今回の特集を共催しているイタリア文化会館の人は『アラビアンナイト』がすごく好きだとおっしゃってて、それは「パゾリーニの中でも一番美しい映画だから」なんだと。そういうときは「美しい」という言葉だけで伝わるんだなと思いましたね。
それと今回の上映作品で『愛の集会』という、イタリア中をインタビューして歩いているドキュメンタリーがあるんですけど、これを観ていると、みんなうれしそうにパゾリーニに話しかけているんですよね。子どもとかもスッゴイ喜んで寄ってきているし。やっぱり人間的にすごく魅力的な人だったんじゃないかなと思います。
SYO 今回、パゾリーニ作品を体験することができて良かったなと思います。ある種、一番強烈なものを最初に観たからこそ、他の作品を観たいなという気持ちになりましたし。今のままだと、自分の中で「強烈な映画を撮る人」のイメージが固まってしまいそうなので(笑)、他の作品も観たいなと思っています。