プログラミングに対する純真無垢な愛情は、演じていく中で絶対に忘れてはいけないこと
――東出さん自身は、金子さんをどんな人だと感じましたか。
皆さん、金子さんのことをお話するときに、「ちょっと足りないところがある」とか、「天然なところがある」とか、そういう形容をしながらも、嬉々としてお話しされるんです。そんな皆さんの表情を見ていて、「愛されていた人なんだな」と感じました。
あとは、金子さんは人の悪口や、状況に対する愚痴や恨み言を言わなかったという話を聞いて。それも僕の中では非常に大きかったです。なぜそんなにポジティブな言葉を言い続けられたのか、人に不平不満をぶつけなかったのかも考えました。
そんな中で、金子さんが子供の頃に住まわれていた実家の跡地にも行かせていただいたんですけど、そこから少年時代の金子さんが通っていた電気屋さんにも行ってみて、その距離の遠さに驚きました。
車で30分くらいかかったんですけど、暑い日も寒い日も、金子少年はマイコンを触りたいという一心で、自転車を爆速で漕いでそこへ通っていたことを思うと、その気持ちを持ったまま、大人になったんだろうなと。このプログラミングに対する純真無垢な愛情は、演じていく中で絶対に忘れてはいけないことだと思いました。
今回は金子さんを“映画”というもので表現するので、関係者が見たシーンだけで構成されるのではなく、金子さんが家に一人でいるときの状況とかも描けますよね。
時に苦悶の表情を浮かべたり、忸怩たる想いを抱いたりしているところも描けるので、金子さんのプログラミングに対する愛情、欲求というものをちゃんと勉強した上で、そういう悔しさも必然とあるんじゃないかと想像を巡らせながら演じました。
――一方でその純真無垢さが、違法アップロードを促すという結果を生んだことについてはどう思いましたか。
これは僕が元々持っていた持論ではなく、この作品に携わらせていただいたおかげで気付けた事の一つなんですけど、交通事故を起こそうと思って車は作られていないし、人を傷つけたいと思って包丁も作られていないけど、それが人を傷つけることはありますよね。技術革新というものは、時として凶器となるものを作ってしまうんだなと気づきました。
――ただ東出さんは俳優という職業柄、この事件においては、一生懸命作ったものが無料でアップロードされてしまった側の立場にもなり得たと思います。その点についてはどう思いますか。
それは難しくて。大きな技術革新のうねりの中にあっては、今回のように著作権がどうなるかはわからなくなるように思います。
もっと言うと、技術革新が進んで、もはやAIがシナリオを書ける時代になっていますよね。数十年後とかには、人間の動きもすべてAIが行って名画を作るようになっているかも知れない。
確かに、生身の役者が生で演じる芝居は残るかも知れないけど、そういう時代が来たときには、映画が違法アップロードされるか否かなんてわからないですし、それを止めることはできないと思うので、何とも言えないです。
ただ個人的な考えですけど、そういう技術革新の中で生まれるものを肯定したり、保護したりするのが国だと思うんですよね。技術革新を国がストップさせて、出る杭は打つというやり方はどうなのだろうと思います。
そしてメディアも往々にして国民感情を焚きつけることもありますし、それをわかった上で、警察と司法取引をしたり、情報操作をしたりもしますけど、そうやって危険を煽ったり、自由を束縛してしまうことは、未来の発展を阻害する要因になったとしても、いい結果を生むようには思えないんです。だから僕は、人間はいろんなことに挑戦すべきだと思っています。