譲れないものがあることは大事なんですけど、それがあまりに強すぎると求められない
――改めて、完成作を観て何を感じましたか。
未山は欠けている人だけど、欠けているゆえの良さもあると思いました。それと、恋人、友人、親とか、人以外にも仕事とか、いろんなものへの愛情のかけ方があると思うんですけど、愛情って多かれ少なかれ自己犠牲的なところがあると思うんです。
未山がいろんなことを受け入れてることが、果たして愛情かどうかはわからないですけど、それによって未山は苦しめられているんだと思いました。
莉子とのことも、過去のことは多く語られてはいないですけど、今の莉子を作ったのは未山なんじゃないかと思うんです。草鹿は莉子と一緒にいて、どんどん自分が削られて疲弊してしまうけど、そういう周りの人のことをすり減らしてしまう莉子を作ったのは、未山のような気がします。
莉子の方も、未山によってそんな自分が生み出されてしまったこともわかっているような気がするんです。だから未山の家で一緒に住み始めたときに、絵の具を倒してみたり、言葉には出さずとも反発心のようなものを表していたのかなと。
――なるほど。
僕のイメージではありますけど、この映画の物語は未山がこれまでやってきたことの整理整頓の旅のような感じがあって。
詩織と一緒にいるところから物語は始まりますけど、未山のもとに草鹿の強い想いが生霊としてやってきて、それで実際の草鹿に会うことで、莉子という自分が過去に置いてきてしまったものにもう一度、目を向けなくてはいけなくなる。
映画の最後に果たして未山がどうなったのかは、さまざまな解釈が生まれると思うし、僕自身も正解はわからないんですけど、最初にも言った未山が8割しか果たせずに終わりにできなかった2割を一つひとつ終わらせたところで、この映画としての未山の物語は終わったんじゃないかと解釈しました。
僕が単に思ったことなので間違いかもしれないですけど、なんかそう言えてしまうことも、この作品のすごく面白いところだと思います。
――今回のように監督から坂口さんという存在を切り口に作品を撮りたいと思わせることはとてもすごいことだと思うのですが、ご自身として、そのように求められるために意識していることはありますか。
そうですね、とてもありがたいお話でした。それで考えてみると、役のことを100は理解しないことですかね。このお仕事を始めた頃は、役の考えが90%ぐらいで、自分の考えを10%残すことに意味があると思ってやっていたんです。
――自分の中を100%キャラクターの考え方で満たすのではなく、客観的というか、ご自身の考え方も多少は残しておくという。
自分の考え方を足して100にする作り方をしていました。けど、ある時に「役だけで100にしてみたらどうなるんだろう?」と思ってやってみたんです。そしたら、「役のことは自分が一番理解している」っていうエゴのようなものを持っていることに気づいて。
譲れないものがあることは大事なんですけど、それがあまりに強すぎると求められない。求められることとかけ離れてしまうことがあるんです。それでまた100にはしない方法にしました。
100を目指すことは大事だし、僕も目指してはいるんですけど、その中に少しだけ自分を残すことにも意味がある。普段から求められることを意識しているかと言われるとそうではないのですが、その自分のかけら的なものを役の中に残しておくことが、僕は求められる理由な気はしています。
――坂口さんって表現者として余白があるというか、だからこそクリエーターの方々が何かしたくなるのでは?と感じました。
少し話がズレますけど、僕、何かを抱えてるみたいな役が多いんです。過去にすごく悲しい出来事があったとか。「それってなんでだろうな?」って、自分では答えが出なかったんですけど、ある時、人から「坂口は根がポジティブだし、明るいからこそ、その逆をやらせてみたくなるんじゃない」って言われて、「確かに」って思ったんですね。
ただ自分としてはしゃべると明るいというのは伝わるとは思ったんですけど、そうでないときは寡黙でクールなイメージもあると思っていたので、いろんな感情が渦巻きもしました(笑)。
けど、そうやって普段の自分とは違うものを求めてもらえたり、表現者として余白があると言っていただけるのはうれしいし、ありがたいことだと思います。
――いろんな坂口さんを見たいと皆さんが思っているのだと思います(笑)。
それから、映像作品って撮影するときはいろんなカットを撮ったりはしますけど、世の中に出るものはそうやって撮ったものを繋ぎ合わせた一つの画ですよね。その目線からのものしか作品にはならないですが、自分もそれしかないとは思いこまないようにしています。
例えば、監督と脚本家とカメラマンとで、全員が全く同じ画を思い描いてはいないですよね。考え方や読み取り方は違うかもしれないけど、最終的に監督の演出の下で作られたものが一つの作品になっていく。
そういう意味で俳優の自分も、自分なりの画を思い描いていても良くて、そこに監督の演出というのりしろを作っていくようなイメージでいます。僕は監督の演出100%でやろうとは思っていなくて、自分の中に監督の演出を混ぜ合わせていくような、そんな意識は持つようにしています。
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坂口さんが「映画の最後に果たして未山がどうなったのかは、さまざまな解釈が生まれると思う」と言うように、単に観るだけではなく、観る側に考えることも求められる作品です。一方で絵画のように、何も考えていなくても目の前のものに引き込まれるような強い力も持っています。
ぜひ映画館で、自分と向き合いながら、この物語の起点となった表現者・坂口健太郎を存分に堪能していただきたいです。
作品紹介
映画『サイド バイ サイド 隣にいる人』
2023年4月14日(金)全国ロードショー