チャイナタウンで香港式ワンプレートごはんを
ロンドン最後の夜は、ずっと行きたかったチャイナタウンへ。
最近、イギリスの映画やドラマを観るたびにチャイナタウンが登場するので調べてみると、なかなかの規模のようで、本格的な中華料理店もそろっているという。
中華圏に長く暮らしたせいか、各国の中華街に興味をもつのだが、特にイギリスは19世紀から香港との往来があったので広東系の移民が多い。アヘン戦争後にイギリスが中国を開港させたため、広東や上海から中国人の船員が渡英してくるようになったのだ。
20世紀初めにはロンドンでクリーニング店を経営する中国人が多かったが、第二次世界大戦後は仕出しのニーズが増えて中華料理店を営む中国人が増えたという。横浜もそうだが、観光地として脚光を浴びる各地の中華街は、そこに中華系移民が集まり、一致団結しなければならなかった理由がある。
イギリスのように、故郷から遠く離れ、言葉も文化もまったく異なる地では、同胞の団結は必須だっただろう。
ロンドンのチャイナタウンは2つの地下鉄の駅の真ん中にあって、どちらの駅からもアクセスできるが、私たちはよりチャイナタウンに近いレスター・スクエアという駅を利用した。
夕食はチャイナタウンで本格中華を食べたいと気軽に考えていたのだが、地下鉄を降りてチャイナタウンに向かう中、それは無謀な計画だったと気づいた。
土曜日の夕方ということもあるが、地下鉄を降りたあたりから「今日はお祭り?」というくらい、広場や通りに人があふれているのだ。
人の波はチャイナタウンに近づくほど大きくなり、立派な中華門が見える頃にはまるで満員電車のような混雑ぶり。
両脇にずらりと並んだ中華料理店やパブには長い行列ができており、店からこぼれるように外で立ち飲みをする若者もいる。大声で歌を歌ったり、ラッパを鳴らしたりの大騒ぎ。
目星をつけていた人気レストランは当然長蛇の列だが、それ以外の小さな店も待たなければ入れそうにない。すぐ後ろを歩いていた地元のイギリス人男性たちは、「かつてのロンドンが戻ってきた」とうれしそうだ。
ヨーロッパ各地はコロナによるさまざまな制約が解除されて久しい。旅の道中、コロナ前よりも速いスピードで経済が回り始めていると実感した。
カオスのような混雑ぶりのチャイナタウンで夕食を食べるのは難しそうだ。私と娘は人混みにもまれながら端から端まで歩いた後、あきらめて別のエリアに移動しようとしていた。
そのとき、店先に透明のビニールテントを張り、客をテーブルに座らせている庶民的なレストランを発見。待っているのは2、3組なのですぐに入れるかもしれない。
たまたま店の外に出てきた従業員らしき中華系の男性に英語で「2人です」と話しかけた。一瞬、「はぁ?」と怪訝そうな男性。すかさず私は中国語に切り替えて「2人!」と伝えた。
すると従業員は急に笑顔になり、中国語で「こちらです」と言いながら、待っている人たちをすっとばして先に案内してくれたのだ。
こんなところで中国語が威力を発揮するとは。
並んでいたロンドンっ子たちには申し訳ないが、案内されるがままビニールテントの席に着いた。店頭の窓越しにはローストされたつやのある鴨肉や豚肉がぶら下がっている。広東系のプレートや青菜炒めが美味しそうな店だ。
一口に中華料理といっても種類が多く、地方によって得意料理は異なる。こういう広東系の店で小籠包のような北部の料理を頼むのはご法度だ。
私はライスの上にローストされた鴨肉や豚肉が乗ったプレートをオーダーした。味は文句なく本場のもの。オリーブオイルやパンに飽きてきていた胃袋を喜ばせる一皿だった。
それにしても、ロンドンのチャイナタウンは熱気がすごい。世界中の人々がここに集まってきたのでは? と思えるほどの盛況ぶりだ。
どの料理店も歴史が長く、こだわりを貫いている。横浜の中華街は規模こそ大きいけれど、どの店も流行りの食べ放題ばかりで、伝統や個性のある店がすっかり減ってしまったのが残念だ。
日本でもマスク着用のルールが緩和され、人々の好奇心や旅心が活発になってきている。
今回、ヨーロッパを旅して、単純だけれどやっぱり世界は広いと実感した。日本に帰国したその日から、次はどこへ行こうかと旅行サイトを眺め、夢を膨らませている。