森崎ウィンにとって、印象的な撮影シーンは?
――身体が揺れたほかのシーンは?
やっぱり、プロコ(プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番 第4楽章)を弾いているときが、最高に気持ちよくて(笑)。
すごく大好きなメロディが途中で出てくるんですけど、そこが本当に好きだから勝手に笑顔になっちゃいました(笑)。
――あれは自然にこぼれた笑顔だったんですね。
もう、自然です。マサルとしてはそこまで出せていないですけど、森崎ウィンとしてはここを弾きたかったんだよなっていう純粋な喜びが練習のときから出ていましたね(笑)。
松岡茉優さんからもらったものがすごく多かった
――亜夜を演じた松岡さんとは初めての共演ですか?
初めてです。お会いするのも初めてでした。
――今回共演されて、どんな印象を持ちました?
芸歴も長いですし、役も合っていたと思うんですけど、佇まいや現場に入ってくる瞬間の空気などに貫禄をすごく感じました。
シーンごとにちゃんと芝居を変えてくるし、俺、これからますますスゴくなっていく女優さんといま一緒にやっているんだなと思いながら、新しく学べたことも多かったので、純粋にリスペクトできましたね。
――本作は4人の4重奏でありながら、一方では男性3人が亜夜に光を当てていく側面も持った構成です。
その中でのマサルの役どころはどんなものだと捉えていましたか?
マサルは亜夜に与えたというより、亜夜からもらったものの方が多くて。
それこそ彼は亜夜だけではなく、塵の演奏を見て悔しい気持ちになったり、明石の“生活者の音楽”を目の当たりにして自分にはない表現を知って変わっていくわけですけど、そんなちょっとずつ成長していったマサルがカデンツァで羽を広げてエレガントに演奏している姿を見て、亜夜も感じたり、変わっていったんだと思います。
――演奏シーン以外で印象に残っているシーンについても教えてください。
タクシーの中で、突然英語で会話を始めるシーンですね(笑)。
でも、英語ができる監督から、あそこはNYに在住のジュリアード王子が喋る正確な発音を要求されたので、すごく難しくて。
自分が普段喋っている中途半端な英語じゃダメなんだってことを思い知りましたけど、英語で喋っているときのマサルは『レディ・プレイヤー1』で共演した主演のタイ・シャリダンのプライベートのときの立ち振る舞いにすごく似ていて。
なので、そのときの日記を見たり、当時のことを思い出しながら自分で作っていった覚えがあります。
――浜辺のシーンの撮影はいかがでしたか? あそこは4人が一緒にいる唯一のシーンだったと思いますが。
4人が集まると、いい意味でヘンな空気になるんですよ。
天才たちが集まるとこんな感じになるんだな~と思ったし、それはいままでに経験したことのないものでした。
天才たちが集まるとどうなる?
――天才たちが集まるとどうなるんですか?
言葉がすごく多いわけでもなくて、本当に風がサ~って吹いただけでひとつの会話が成り立つような空気感なんです。
砂浜についた足跡で音符を作るああいう遊びも、亜夜と塵、マサルの3人ならやりそうだなって現場に行って思ったし、風がすごく強くて後日もう一度撮り直したりもしたんですけど、クラシックが現場で本当に流れているんじゃないかなって思うあの空気感は初めてでしたね。
「俺にしかできない表現がある」という言葉は、励みになっている
――あそこは、明石が天才と天才じゃない人の圧倒的な違いを実感する、ちょっと残酷なシーンでもありますよね。
そうですね。僕は、明石やブルゾンちえみさんが演じられた仁科(ドキュメンタリー番組の撮影でコンクールに密着する明石の元同級生)の言っていることや立ち位置は、お客さんの目線なのかなと思っていて。
彼らが話してくれるから、僕ら3人はあまり会話をしなくてもシーンが成り立ったような気がします。
でも、それこそ僕は明石側の人間だと思っているし、明石のセリフのひとつひとつが、僕が芸能生活でよく感じることなんですよね。
だから、“生活者の音楽”を掲げた明石の「俺にしかできない表現がある」という言葉は、森崎ウィンの励みにもなっていて。
マサルを演じる人がその言葉に励まされるのがいいのかどうか分からないですけど、マサルを演じたのは1年前ですからね。
明石のあのセリフが大好きで、ウワ~って勝手に共感しているのが森崎ウィンのいまのリアルなんです(笑)。
――そういった意味で言うと、石川慶監督はどんな方なんですか?
監督するだけではなく、脚本も書かれていますし、編集もされるし、画も完璧に見えていて、音楽にも精通しているような気がするのですが、現場ではまったく揺るがない方なんでしょうか?
監督のイメージするマサルやそのシーンの目的が確かにあって、それをストレートに伝えてくるときもありますけど、リハ―サールを何度も重ねるうちに誘導されていて、気づいたらそこにハマっていたということが多かったような気がします。
それこそ、僕の方から「こういう表現したい」って最初に提示をすることもありましたけど、リハを重ねる間に監督から「ここでこのセリフを足して欲しい」「観ている人の気持ちを考えると、このセリフはいらないかな」という指示が出て、どんどん誘導されていったという感触でした。
――ピアノの演奏シーンに関しても同様ですか?
演奏シーンに関しては揺るぎがなかったですね。撮り方が決まっていました。
最初から「ここと、ここと、ここから撮りたいから、ここでガツンと力強く鍵盤を叩いて欲しい」という感じで。
僕が最初から最後まで実際に弾かなければいけないところは「申しわけないけれど、何回も弾いてもらうからね」って当日言われましたし、お客さん向けのカットは後日撮りましたけど、それ以外はステージに出ていくところからピアノを弾くところまでは緊張感を保ったまま順撮りで。
そこは最初から監督の中では決め打ちだったような気がしますね。
今回最も大きかった試練
――石川慶監督は天才だと思いますか? それとも努力家でしょうか?
芸術家肌と言いますか、アーティスティックな方だなという印象を受けました。
話し方は柔らかいんですけど、目だけがすごく燃えているんです。
言葉遣いも丁寧ですし、強く押しつたけりはしないんですよね。
だけど、さっきもお話したように、自分の道に持っていく、その持って行き方が上手いんです。
――そんな石川監督の現場はとても充実したものだったと思いますが、森崎さんにとって、その中で今回最も大きな試練は何でしたか?
ピアノの演奏はもちろんそうですけど、最初にも言ったように、原作をやっぱり読んでいる人間なので、マサルを俺がやるのか~? というヘンなプレッシャーがあって。
僕はどの現場でもそうですけど、監督を全面的に信頼しているので、自分はこういう風にやりたい! みたいなことは現場であまり言わないんですよ。
演出の意図が分からないときは尋ねますけど、否定はしないので、ただただ、自分がマサルを演じるということに対する、そもそものプレッシャーが大きかったという感じです。