カジュアルな言葉で紡がれる、“諭し”と“戒め”―「それじゃまた」

次に、「それじゃまた」(1996年。アルバム『SMAP 008~TACO MAX』収録)。
これまた、題名からして、辞世の匂いがする。

6人時代のSMAPを支えた作詞家、小倉めぐみによるこの曲には、ある意味、SMAP楽曲のエッセンスのすべてがある。言ってみれば、日常を肯定するということはこういうことであり、肯定すべき日常とはこういう光景のことなのだと思わせられる。

のっけから、いきなり核心に入る。

信じると夢は叶うと言われるが、それはあやしい。歌はみんなの願いだから、そんな歌が多いのだろう。
それを言ったら、身も蓋もないよ、というようなことが、さらりと歌われる。
実際、自分には叶わなかった夢がある。で、それまでしてた努力はやっぱり無駄だった。

さらに、こうも続く。

自分は変わってると言いたがる人は多い。だが、そんなことは当たり前だ。犬だって、それぞれに違う。ぼんやり見てると、みんな犬にしか見えないけど。

この指摘は、鋭く強烈だ。わたしたちは、どこかで自分が特別だと思っている。だが、一歩退いて眺めれば、そんなことを思ってること自体、凡庸さのあらわれでしかないのだ。
だが、こうしたシビアで客観的な視座を念頭に起きつつ、SMAPは歌う。

SMAPの“平常心”が紡ぐメッセージ

自称・変わり者ばかりの世界だが、なぜか、人と人は、どこかで、誰かと誰かが出逢い、結ばれ、愛しあう。どうしてかわからないが、それは素敵なことだ。

生きていれば、バカを見ることもある。うまくいかないことは必ずある。だけど、まわりに当たり散らすようなことはやめたいものだよね。
そう諭す。そう戒める。

諭しも、戒めも、SMAPはカジュアルな言葉で紡ぐ。彼らが歌うと、諭しも、戒めも、カジュアルに響く。説教調にはならない。

そして、何と言っても、胸に迫るのは、次のようなことを語るフレーズだ。

無駄な努力はやっぱり無駄だが、それでも何か残るものはある。

もう20年以上前の曲だが、当時からこの曲はSMAPの遺言のように思えた。

SMAPは、願えば夢はきっと叶う、なんて歌わない。
夢は叶わないかもしれないよ、と歌う。
だが、残るものはあるよ、と伝える。
この平常心が、SMAPをSMAPたらしめている。

そして、歌は次のように締めくくられる。
それじゃまたね。おつかれさま。明日はどうなるかわからないけど、お互い身体だけは気をつけながら、生きていこう。
そう、「それが僕の答え」と確実につながる思想がここにはある。

生きていきましょう。
これが、SMAPのメッセージなのだと強く思う。