不寛容な時代に響く、“寛容”の歌―「はだかの王様~シブトクつよく~」

森且行を擁するSMAPにとっての最後のシングルとなった「はだかの王様~シブトク つよく~」(1996年。アルバム『SMAP 009』にも収録されているが、そちらは5人で歌われている)。

この曲には、具体と抽象が、絶妙なバランスで共存しており、6人SMAPのフィナーレにふさわしい強度、深度は、いまもまったく色褪せていない。

「それが僕の答え」や「それじゃまた」のような明確なストーリーは描かれていない。
どうやら主人公は、職場でも私生活でも、ある種のズルを重ねてきた。それがあるときバレて、窮地に立たされる。みんなに責められるから、一応、反省したふりをするが、心の中では真っ赤な舌を出している。

これは、ある種の開き直りの曲でもあり、こんな自分を許してくださいという曲でもある。
謝るしかないけれど、自分という人間は変えられない。その真実が「ご容赦ください」という極めて日本的な言い回しに委ねられる。

すごい曲だ。
未熟者でもご容赦ください。
はっきりそう歌っているのだから。

未熟者なので精進いたします、というのが、あらゆる世のルーティンのはずだが、そんな常識に文字通り、真っ赤な舌を出して、はだかのままがホントに気持ちいいんです、と自己肯定する。
しかも、その自己肯定はナルシスティックなものではないし、正義の主張でもない。
どこか、可愛げのある弁明なのである。

態度はデカいけど、実は気が小さくてさ、個人としては結構いいヤツなんですよ。
なんてことを、臆面もなく、つぶやいている。
おいおいと思わずツッコミを入れたくなるような、陳謝ならぬ居直りである。
この図太さがキュートだ。

主人公が、どんなズルをして、どんなバレ方をしたのかは描かれていない。だが、これは誰にでもおぼえがあることではないだろうか。

とても真っ当に示される“人の道”

2017年、いまは、失敗が許されない時代だ。

たったひとつのズルがバレたら、とことん糾弾される。SNSでもやっていようものなら、見ず知らずの相手にまで乗り込まれて、たちまち炎上だ。

どこの誰かだかわからないヤツらの、かりそめの正義が、ひとつの失敗を吊し上げ、全人格を否定する。
そんな暴挙が当たり前になっている。
だから、多くの場合、空気を読みながら、萎縮しながら生きなければいけなくなりつつある。

21世紀に、あえて「はだかの王様」として生きることは難しい。とても難しい。
だが、この曲を聴くと、それでも、「シブトクつよく」明るくいきましょう、と思える。

人間なら、ズルするときはある。
人間なら、バレるときもある。

そんなとき、必要以上に追い詰められなくてもいいんじゃないの? と思う。
そして、逆の立場になったとき、あまり人を責めちゃいけないなとも思う。

一見、ひねくれているし、読み解き方によっては哲学的でもある詞だが、実は、とても真っ当に「人の道」を示している。

自分自身にも、他人にも、寛容であれ。
宗教や神の力をかりず、SMAPはそう歌っているように思える。

面白きこともなき世を面白くするのもわたしたちなら、不寛容社会と言われる世界を寛容なものに変えていくのもわたしたちなのではないか。

「はだかの王様」は色褪せていないどころか、むしろ、21年後のいま、さらにヴィヴィッドに届くメッセージたりえている。
作詞は小倉めぐみと共に6人SMAPに尽力した森浩美。永遠不滅の名曲である。