慎ましい、大人の達観―「世界は僕の足の下」
「世界は僕の足の下」(1998年。アルバム『SMAP 012~VIVA AMIGOS!』収録)は、「それが僕の答え」同様、アルバムの終幕曲である。
「王様」感の漂うタイトルに反して、綴られるつぶやきは、とてもナイーヴだ。
この曲、なんと、自分に向けたバースデイソングなのである。
つまり、主人公は孤独だ。
来週、誕生日がくる。
描写はそこから始まる。まるで優れた短編小説のような幕開けだ。「はだかの王様」よりは具体性はある。だが、比重は明らかに心象側にある。そして、「はだかの王様」で描かれた自己肯定が、まったく違った方法で表出する。
年輪を感じる曲だ。
「それが僕の答え」から3年が経過している。あのときの「僕」のその後、という気もする(作詞家は別である)。
行列のタクシーを譲る「僕」は、ゆっくり行けばいいと考えている。人生はスロウでいい。だが、それは、ちゃっかり得をするショートカットのルートにはなじめないことも知っているからなのだろう。
「僕」は、自分が写っている写真を眺める。どの写真でも、自分は隅にいて、笑っている。隅っこにいる人生。それはそれで悪くないと思いながら、ここまで来た。
あの頃より痩せたみたいだ。だが、この顔は誇れる。
控え目な自負がのぞく。
この顔には嘘がない。
これが「僕」のささやかなプライドだ。
地に足をつけて生きてきた。これからも焦るつもりはない。来週、誕生日がくる。
大人になってしまった“僕”、その姿に見る真実
SMAPの歌の主人公は質素だ。多くを望まない。生活の営みを大事にするだけだ。その積み重なりが、時間となり、年齢になる。そんな達観が身についているように思う。
嘘といえば、思い出すことがある。彼女に裏切られたことがある。だが、怒れなかった。気が抜けて、自分のネクタイをゆるめただけだった。だけど。彼女の嘘は、彼女自身を壊すだろう。僕ではなく。
そんなふうにつぶやくことのできる「僕」は、「それが僕の答え」のときより、大人になっている。大人になった、というより、大人になってしまった、と言ったほうがいいかもしれない。
大人とは、なるものではなく、なってしまうものなのかもしれない。たとえ、なりたくなくても、なってしまうもの。
正しい酒の飲み方、おぼえられた。「僕」がそう言えるのは、失恋も生きる糧にできたからだろう。慎ましい、人生の実感。だが、そこに真実がある。
来週、親友にも逢う。
つまり、「僕」にはいま、恋人はいない。
だけど、誇りがある。焦るつもりもない。このままでいく。
来週、誕生日がくる。
そんなふうにつぶやける大人の姿がここにある。