俳優として多彩な役を演じるだけでなく、CMで国籍を超えた人物になりきったかと思えば、自身の実録本を出したり、赤西仁と音楽ユニットを組んでデビューシングル「Choo Choo SHITAIN」をリリースしたと思ったら突然解散したり、その予測不可能な楽しいパフォーマンスを続けて私たちを驚かせてきた山田孝之がまたまたやってくれた!
ドキュメンタリードラマ「山田孝之の東京都北区赤羽」(15)、「山田孝之のカンヌ映画祭」(17)で組んだ松江哲明監督、山下敦弘監督と一緒に、今度は自らのドキュメンタリー『映画 山田孝之3D』を作り上げてしまったのだ。
いったいどこまでがリアルで、どこまでがフェイクなのか? 彼は何を目指しているのか? そもそも山田孝之とは何者なのか?
ここ数年、彼と最も密接に仕事を続けてきた松江、山下両監督へのインタビューを通して、その真相に迫っていきたい。
山田孝之が「自分を探したい」と言い出した
『あんにょん由美香』(09)、『トーキョードリフター』(11)、『フラッシュバックメモリーズ3D』(12)などのドキュメンタリー映画で知られる松江哲明監督と、『オーバー・フェンス』(16)、『ぼくのおじさん』(16)などの山下敦弘監督。ふたりと山田孝之とのタッグは果たして必然だったのか?
まずは初めて出会ったときの話から聞いてみることにした。
――山田さんと初めて会ったのは、「山田孝之の東京都北区赤羽」のときですか?
松江 僕はそうですね。
山下 僕はその前に、『BUNGO~ささやかな欲望~』(12)というオムニバス映画の短編『握った手』で出会って。本当に短い撮影期間でしたが、それが最初です。
――でも、今回の『映画 山田孝之3D』に至るすべての始まりは“赤羽”からですね。
山下 そうです。山田くんが「自分探しをしたい」と言い出して、ちょうどそのときに撮ろうとしていた映画が頓挫した僕のところに話が来たんです(笑)。
――それで、山下さんが松江さんを誘ったわけですか?
山下 そうです。
松江 そうです。ただ、僕は当時北区に住んでいたので、山田くんが北区に来るなんて、面白そうだけど、大変なことをするなと思いましたよ。
――「山田孝之のカンヌ映画祭」の企画も、“赤羽”の撮影中からあったんですか?
松江 山田くんが“カンヌ”の話を言い出したのは、「勇者ヨシヒコと導かれし七人」(16)を撮っていたあのときです。
山下 “カンヌ”の第一話を観てもらえば分かると思います。
――観ましたよ。ゴジラも映りましたよね。
山下 僕が山田さんに呼ばれて、“ヨシヒコ”を撮っている東宝スタジオに行ったんです。
松江 でも、“赤羽”のときから「自分でプロデュースをしてみたい」って言ってたよね。
山下 それは何度か聞いた気がする。
松江 山田くんが主演だけでなく、自らも企画で名を連ねてネット配信ドラマを地上波のドラマとしてリメイクした「REPLAY & DESTROY」(15)も確か“赤羽”の後だったと思うし、自分が入ることで作品が面白くなったり、制作がスムーズになるならプロデュースもやりたいという話は聞いてましたね。
山下 決められたことだけをやる、俳優のスタンスにジレンマもあったみたいです。一緒に物を作るんだから、みんなちゃんとアイデアを出し合おうよ、作品のことをもっと真剣に考えようよという意識が根底にあって、物作りに積極的に関わりたい人だと思いました。
――山田さんが“赤羽”や“カンヌ”の監督に山下さんを指名したのは、先ほどの『BUNGO…』での出会いがあったからですか?
山下 それは関係ないですね。『BUNGO…』のときは役にすごく集中しているから、ストイックで、あまり喋らない人だなという印象が強くて。
ちゃんと喋ったのは『BUNGO…』の初号試写の後で、喫茶店で3~4時間ぐらい話したんですけど、そのときに初めて彼がいろいろなことを考えているのを知りました。
山下&松江「山田くんは僕の映画を観ていない」
――でも、山田さんが山下さんたちと組みたいと思ったから、“赤羽”も“カンヌ”も声がかかったんですよね。
山下 でも、僕の映画観てないんですよ(笑)。
――えっ、そうなんですか?(笑)
松江 そうそう、観てない(笑)。
山下 『苦役列車』(12)だけは森山未來くんとの対談のために観たけれど、それもちゃんと観たのか疑わしい。『リンダ リンダ リンダ』(05)のDVDも封をしたままだったし(笑)。
松江 “赤羽”のイベントでそのビニールの上にサインしてプレゼントしたから、もらったお客さんも開けられない。もう1本買え! みたいな感じになったんですよね(笑)。
山下 観てないのはショックでしたね(笑)。
いやはや驚きの事実が明らかになったが、それではなぜ一緒にやり続けてこられたのか? 今回の『映画 山田孝之3D』に話題を移すとしよう。そこから何か見えてくるかもしれないから。
なぜ、山田孝之を3Dにしようと思ったのか
――今回の映画と“カンヌ”はセットで企画されたんですか?
松江 いやいや、“カンヌ”に映っていたように、『穢の森』という映画の企画が失敗したから、山田くんだけで映画ができないかって話になり、僕が「3Dで作るのはどう?」って提案したんです。
山下 「これを映画にしましょう」ってね。
――なぜ3Dにしよう思ったんですか?
山下 そこは松江くんのアイデアですね。
松江 僕は山田くんが書いた「実録山田」(16)が面白かったんですよ。エッセイのつもりで読んでいくと急に物語になったり、対談が始まったりして、ふざけて書いているのかなと思ったら、ジ~ンとする描写もある。
自分を俯瞰したり、主観になったりするそのゴチャゴチャした感じもいいなと思ったので、山田くんが「自分自身を映画にしたい」と言ったときに、「『実録山田』はどう?」って聞いたんです。
あの本のニュアンスを、山田くんのお喋りで伝えられたら楽しいだろうなと思って。それからどう映像化したらいいんだろう?と考えて、3Dに行きついたんです。
――なぜ3Dなんですか?
松江 僕が『フラッシュバックメモリーズ3D』を撮ってから5年が経つんですけど、3Dを映像が飛び出すという使い方ではなく、複数の情報を何層にも分けて同時に見せる映画をもっと作りたかったんです。
他にもないし。ただ、『フラッシュバックメモリーズ3D』のときのように過去と現在を同時に見せるのではなく、今回は3Dで人の脳内を見せる映画を作りたくて。それがこの企画ならできると思ったんです。
――山田孝之さんの脳内を同時に見せる試みですね。
松江 そうですね。山田くんがカメラ目線でずっと喋っていくんですけど、その発言と敢えて合わない、ひらのりょうさんのシュールなアニメーションや長尾謙一郎さんの不条理に満ちたナンセンスな絵を入れて。
そうすることで、山田くんの脳内を見せることができたら面白いと思ったんです。