日本人の美意識を映し出してきた「きもの」。その変遷をたどる特別展『きもの KIMONO』が、東京国立博物館で6月30日(火)に開幕した。圧倒的な数で迫る「きもの」はもちろん、絵画や服飾小物なども合わせ約300件が展示される。
展示は、「モードの誕生」「京モード江戸モード」「男の美学」「モダニズムのきもの」「KIMONOの現在」の5章で構成。
モードの誕生と覇権により変わりゆく流行
第1章の「モードの誕生」では、桃山時代から江戸時代にかけて、時代の変化がファッションの転換となって生まれたモードにフォーカスする。
豊臣秀吉の政権期には、豪壮なデザインに紅や萌黄をベースとした明るい色調が流行するが、徳川家康の政権期には、茶や紫といったシックな色調に瀟洒な草花模様を全身に施したデザインに移行。
覇権の移動とともに、流行も変化していったことが見てとれる。
そして、江戸時代に入り平和な世の中を迎えた人々は、「儚い浮世」を楽しもうときらびやかな衣装を好むようになり、刺繍や金箔、絞りなどで地を埋め尽くすように模様を施した「地無」小袖などが流行していった。
続く第2章「京モード江戸モード」では、寛文期から元禄期にかけての京都と江戸の流行をたどる。
寛文期には、模様全体に動きがうまれる斬新なデザインが流行。
元禄期になると、財力のある町人たちが「伊達」を競う衣装くらべが盛んに行われるようになり、細かい絞りを全面に施した「総鹿の子」、豪華な金糸の刺繍、色鮮やかな絹糸の刺繍で王朝風の模様を全身に表した小袖模様がもてはやされた。
しかし、過剰な衣装くらべを見かねた幕府は、「総鹿の子」「縫箔」「錦紗(金糸)」を禁止。
そこで、呉服業界は新たな「染め」の技術を意欲的に開発し、色落ちせず、繊細な輪郭で絵画のような模様を染める画期的な技法「友禅染」が生まれ、発展していった。
京都では、尾形光琳の絵画を元にした「光琳模様」が大流行。江戸時代後期に入ると、人々は贅沢な嗜好から離れ、洗練や簡素をよしとする「いき」の美学を築いていく。
シックな着物に、幅の広い凝った模様の帯を合わせたり、裾さばきから鮮やかな色合いの襦袢をのぞかせたりして、おしゃれを楽しんでいた。
一方で、贅沢禁止令と無縁だったのが、豪商の娘や花魁、太夫といった高級遊女たち。
豪華絢爛な婚礼用の打掛や晴れ着が現存するほか、江戸屋敷の大奥でも厳格な様式化が進んだものの、豪華な刺繍や鹿の子絞りの華麗な衣装がまとわれていた。