「奇想天外映画祭2020」チラシ

新宿K's cinemaで昨年より始まった<奇想天外映画祭>は、なかなか映画館でみることのできない歴史的な旧作群、それもかぎりなく珍無類のいわゆるカルト系作品に的を絞っての上映のこころみである。

昨年はトッド・ブラウニング『フリークス』、コンラッド・ルークス『チャパクア』を筆頭にエド・ウッドの最低な(エドに対する誉め言葉)3本、フランク・ヘネンロッタ―の愛すべき『バスケット・ケース』、そしてレナード・キャッスルの『ハネムーン・キラー』など計11本が1日3作品×14日間のスケジュールで上映された。

今年はコロナ禍で開催が危ぶまれたが、昨年よりもさらに規模拡大3週間のスケジュールでとりおこなわれる。

ちなみに、初日29日(土)の『ウィッカーマン final cut』上映後に特殊翻訳家、映画評論家の柳下毅一郎さんと小生の舞台両端に距離をとってのトークショーが組まれているが、どうなることか。

『ウィッカーマン final cut』

88分ヴァージョンはこれまでわが国を含め、世界で公開されてきた。

今回初めて劇場公開となる『ウィッカーマン final cut』の尺は94分、40周年記念上映(2013)の際、監督のロビン・ハーディがヴィデオでは流布していた99分ヴァージョンも参照しつつ再編集した決定版ということになる。

ハーディ格別の感慨があっただろう。とにかく、呪われたフィルムであったからだ。

その意味は文字通り、ポスト・プロダクションの最終段階で、フィルムの廃棄がひそかに、というかあからさまにおこなわれたからだ。

映画の内容が会社のボスに嫌悪され、会社はあがっていた88分ヴァージョンをキャスト、スタッフのだれにも知らせず、ニコラス・ローグ『赤い影(原題Don’t look now)』の添え物として公開、そのまますませようとした。

この映画に主演し、ロード・サマーアイル役を存分に楽しんだクリストファー・リーはあわてて、新聞、雑誌の映画担当に連絡し、見てもらった記者にはチケットを用意するという前代未聞のできごとが勃発した。

リーはそれぐらいこの作品を自らの代表作として愛していて、もし存命であったなら今回の上映をとてもよろこんだであろう。

唯一の幸運は、88分の公開ヴァージョンではなく、102分の長尺ヴァージョンがアメリカ公開のための参考扱いでロジャー・コーマンのもとに送付されていたことだ。

つぎはぎ魔のコーマンのもとへ送ることは普通、恐怖でしかないが、『ウィッカーマン』は、逆に救われたのである。

少女の失踪事件捜査のため、サマーアイル(夏の島)という桃源郷めいたスコットランドの孤島に小型水上飛行機で降り立った警部を迎えたものは、楽しく卑猥なメイ・ポール・ダンスだけではなかった。

とにかく、ウィッカーマンのヴィジュアルが衝撃的だった。興味深いのは、この祭儀は、時を経て、遠い異国の米津玄師の「Wooden Doll」のMVに飛び火したことだ。