ケース2.金塊を持っているとき

この法則が適用されるのは、何も金塊を置くときばかりではありません。

 

 

彼の記憶力ゼロは、すでに始まっています。
自分で金塊を持っていることを忘れているのです。

 

 

 

 

 

そして金塊を持っていることに気付き、すごくよろこんでいます。

「記憶力がゼロである」というだけで、人はこのように倍々ゲームで幸福になっていくのです。

 

 

 

 

ケース3.金塊を見つけたとき

まだまだこれだけではありません。この法則は、金塊を見つけたときでさえ適用されます。

 

 


記憶力ゼロの彼が、金塊を見つけてよろこびましたね?

ふつうはこれで終わりですが、彼の場合は続きがあります。

 

 

 

 


なんと、金塊を見つけてよろこんだことで「自分が金塊を見つけたこと」に気付き、さらによろこんでいるのです。

このためには、少なくとも金塊を見つけた時点で「金塊を見つけたこと」は忘れていなくてはならず、かなり高度な芸当であることが窺えます。

 

 

 

 

ケース4.金塊を返すとき

しかし、いい夢はいつまでも続きません。彼が見つけた金塊はお金持ちがなんとなくそのへんに置いておいたものであったようです。

金塊を返すように言われた彼は、素直に要求に応じました。

 

 

 

 

 


しかし、そこはさすがの記憶力ゼロ。金塊を返している途中で金塊を返していることを忘れてしまい、金塊を返すことを忘れたせいで金塊を得たので、金塊を得てさらによろこぶことが可能になりました。

結局、彼は金塊泥棒の汚名を着せられずに金塊を手に入れることに成功したのです。

 

 


…さて、ここで挙げたのはほんの一例ですが、バカ=記憶力ゼロとして登場した彼は、本当に愚かであったでしょうか?

どうすれば幸福になれるか、という目的を設定した場合、場合によっては「知性を捨てる(バカになる)」という手が最も賢い…というパラドックスを暴いた貴重な研究結果でした。

みなさんも明日からは頭のネジを外し、嫌なことは1秒で忘れ、いいことは何度もよろこぶ鋼のメンタルを目指してみてはいかがでしょうか。

大学を中退して成り行きで専門学校を卒業し、ろくに就職もせずにオモコロというサイトで出鱈目な記事を書き続けて数年、分かったのは人はインターネット上で存在感が増すほど社会的にゴミに近付いていくということでした。

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