LGBTQの方々が大変とか、辛いってことだけを伝えたいわけじゃない
――坂東さんはこの映画に対して「究極の愛を描いている」とコメントされていましたが、真也を見ていると、もし自分がこの立場だったら、こんな判断ができるんだろうか?と考えてしまう場面がいくつもありました。
いや~僕もできないですね(笑)。最初にユイを突き放すところとか。あれは強くないとできないですよね。だから、この脚本を書いた監督はすごいな、とも思いました。
LGBTQのことをよく知らなかったから衝撃的に感じたのかも知れないですけど、実際にこういう経験をする方がいるというふうに考えると、本当に自分事として理解した上で演じたいと強く思いました。
それでこれを観てくださった当事者の方たちには、こういう未来というか、可能性もあるんだ、というふうに受け取ってもらえたらいいなって。
確かに映画の中には大変な場面とか、暗い場面の描写も多いですけど、僕としてはLGBTQの方々が大変とか、辛いってことだけを伝えたいわけじゃないんです。
もちろんそういう現状があるということ理解してもらうことは大きいですけど、それプラスアルファで、未来が見える、この先はこんなふうにもなっていけるんだ、ということを可能性として伝えられたらいいな、と思っています。
――本作に対して坂東さんは主観的な感覚と、客観的な感覚と両方あるように感じるのですが、演じているときはどんなバランスでいたんですか?
演じているときは真也の主観でしか考えていなかったです。客観的な目線を作ってしまうと真実にできないと思ったし、どれだけ真也の主観でいられるか、真也を自分の中に入れていくかが作業として一番大きかったので。
「愛なんて理屈じゃない」って、セリフにもあるんですけど、ホントにそれに尽きるな、と。その感覚をかなり頼っていました。
例えば、人を好きになると、その人に向かって車が突っ込んできたら反射的に助けると思うんですよ。自分だけ逃げようとは思わない。そういう本能的な部分があると思うんです。運命的に結ばれる理屈じゃない愛って、僕は存在すると信じているので。
――完成作は客観的に観られたのでしょうか?
演じた直後に観たときは難しかったんですけど、公開日が決まって、約2年ぶりに改めて観たら全然違って見えました。すごく簡単な言葉で言うと、感動しちゃって、僕(笑)。
真也は自分が演じているんですけど、もうそこには自分じゃない他人というか、真也っていう人間がいて、片山さんが演じているユイがいて、2人の究極の愛の物語を俯瞰で観ることができたんです。
普段だとそういうふうに観れるまですごく時間がかかるんです。やっぱり「こんな芝居しちゃってるよ」とか、「あー、もうやめて~、見たくない」ってことがあるので(笑)。
ただ今回は「もうちょっとここはできたな」と思うところはあるんですけど、映画としてトータルに見てすごく面白いし、改めてすごい脚本だな、と思えたんです。
この作品で描かれているものは、単にLGBTQの問題というふうにカテゴライズしてはいけないものだとは思うんですけど、そういう意識が変わっていくのもみんなの興味次第だと思うので、まずは観ていただきたいですね。