「出席扱い」になることがすべてではない

不登校は小学生より中学生の方が、親の心配が増すように思えます。思春期という難しい年頃にさしかかる時期であることに加えて、進学の問題があるからです。

通うことで学校に「出席扱い」になることを謳うフリースクールなどがあります。それ自体は不登校親子にとっては安心材料でしょう。ただし、子どもがそこに行きたいと思えるような場所であるかが最も重要なことですが。

不登校の子どもに「どのような場所なら学びたいか」と聞いたアンケート調査の結果の1位は「自分の好きなこと、追求したいこと、知りたいことを突き詰めることができる」でした。

どの子どもにも初めから好きなことが明確にあるとはかぎりません。ですが、子どもの持つ未知の可能性を摘まないためには、今の学校のような管理社会ではなく、自由と自主性を重んじる環境が望ましいということは、当事者でなくても考えるのではないでしょうか。

出席日数が足りないと高校進学に不利になる従来の受験制度はいまだに存在しますが、不登校枠や通信制の高校も増えてきています。学校に通う同級生と同じ土俵に立つことよりも、その子に合った進学の仕方を模索するのが、回りまわっては子どもにとっていいでしょう。

不登校の親が心配しがちな「学習の遅れ」に関して、おおたさんは次のような見解を述べています。

コロナ禍での一斉休校で大合唱された「学習の遅れ」も同じです。みんなが学校を休んでいるのに「遅れ」って何なのか。大人が決めた「指導計画の遅れ」でしかないのです。指導計画通りに指導しても、それが生徒の身についているかどうかはそもそもまったく別の話です。

出典(「不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき」おおたとしまさ著・集英社新書)

今年になって文部科学省が行った調査をみると「コロナ前後で学力低下は見られなかった」と判断できる結果が出ているそうです。

学校に通っていると「やらなくてはいけない」から勉強している子どもがほとんどではないでしょうか。大人でもそうですが、いやいややることは身につきにくいですよね。

そうではなく、子どもが必要性を感じて勉強したくなったとき、どう大人がサポートするかが大事なのだと思います。

現代は多様な生き方が認められつつある時代です。不登校期間を終えて、学校に戻る子どももいるでしょう。ですが、学校に戻ることを前提にせず、その子らしい学び方の可能性を信じられれば、学校に行きたがらない子どもとの接し方がまったく変わってくるのだと思います。

よくある「不登校でもこんなに成功した」といったロールモデルのエピソードに惑わされることなく、目の前にある子どもに向き合ってみてくださいね。

おおたとしまささんの「不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき (集英社新書)」では、子どもにまっすぐに向き合う大人たちや彼らが作った場を多数紹介しています。ぜひ一読されてみてはいかがでしょうか。