あの暗い場所に毎日通うと思ったときは絶望でした(笑)

©2023 Gaga Corporation/J Storm Inc.

――マンホールに落ちた川村は次々と過酷な状況に追い込まれていきますが、それを演じるのはどうでしたか。

毎日が過酷でしたね(笑)。撮る量としては、1日に大体1、2シーンぐらいだったので多くはないんですけど、その分、濃いというか。言い換えればとてもぜいたくな時間の使い方で、そこに楽しさも感じてはいたんです。でも、あの暗い場所に毎日通うと思ったときは絶望でした(笑)。

埼玉にある倉庫にセットを組んで撮影していたんですけど、マンホールのセットの中だけでなくて倉庫全体を暗くして撮っていたので常に暗いんです。外に出てようやく陽の光りを浴びられるみたいな感じで、かなり閉塞感がありました。

僕、わりと身長もあるのでずっと縮こまりながら芝居をしていて。そういう体勢的なものもあって心身共に過酷でした。

ただ心のどこかでは、今の自分が感じているものがしっかり役にも出ればいいなとも思ったので、セットであろうが、仕込みであろうが、目の前で起きていることをちゃんと辛いと感じようともしていました。

――全身が泡の中に埋まるとかもありましたね。

初めての経験でした。一度にこんなにいろんな災難が降りかかるような仕事はこれまでになかったので、過酷度的にはこれまでで一番でした(笑)。

――お話を聞くほどに大変だったことが伺えるのですが、撮影期間中はどのようにメンタルを保っていましたか。

先ほども言いましたけど、ちょっとゲスい人間になるというマインドを持つことと、物理的なことで言うと、普段から部屋を少し暗くして過ごしてみるとかもしていました。

物語が進んでいくに連れて、一瞬でも明るい場所にさらされてしまうと川村が感じている空気感が保てないと思ったので。僕は切り替えがそんなに上手い方でもないので、辛く聞こえるかも知れないですけど、その環境にずっと身を置いている方が楽だったんです。

カーテンを閉め切って暗い部屋の中で過ごしたりすることで、マンホールの中での自分をキープしていました。

――他のお仕事に影響はありませんでしたか。

どうだったのかな。この撮影をしていたときのグループ(Hey! Say! JUMP)での仕事のことはあまり覚えていないんですよね(笑)。どうしてたのかな……でも、メンバーと距離を取っていたかも。JUMPといるとやっぱりわちゃわちゃしちゃうので。

今、思い出しました! お台場のスタジオで自分だけちょっと離れて一人で座ったりしていました。(メンバーに)気を遣わせたな(苦笑)。

©2023 Gaga Corporation/J Storm Inc.

――熊切和嘉監督の演出はいかがでしたか。

そのときの感情を増幅させてくれるような言葉をかけてくださっていました。一つ面白いのが、例えばハシゴを登るとか、身体的に辛いシーンを撮っていると、僕は息が上がるわけですけど、カットがかかって監督がこちらに駆け寄ってくると、監督も息が切れているんです(笑)。

「えっ? なんで」って思いましたけど、たぶん、モニターでチェックをしながら監督も一緒に力が入っているんですね。熊切さんはこちらと一緒のボルテージでいてくださるので、その点はとても助かりました。同じ気持ちでいられたことがすごく良かったです。

そんなふうに監督自身がのめり込んで作っているからこその画も撮れているし、だからこういう作品が撮れるんだなとも感じました。

僕も監督のボルテージを感じながら、「ここはもっと行った方がいいんだな」とか、「ここは抑制した方がいいんだな」とかを調整していたところもあって。監督の表情や息遣いが、ある種、川村のボルテージだったのかも知れない。そのくらい一緒にのめり込んでくれました。

――最初におっしゃった「そのときの感情を増幅させてくれるような言葉」とは、具体的にはどんなものだったのでしょうか。

例えば、毒を吐くようなシーンだったら、「もっといやらしくクズっぽく言って」とか。僕が普段やっている活動とはかけ離れているキャラクターですし、物語が進むに連れて普段は使わないような言葉が出てくることもあるので、そこで僕をどんどんゲスい人間にしてくださいました(笑)。

それでやってみて上手くいくと「すごい良かった」とか、めちゃくちゃ褒めてくださるんです。これまでの現場でも「良かったと思いますよ」みたいなことはあったんですけど、熊切さんの潔いくらいの「OK! OK!」とか、「すごい良かったよ~」って笑いながら言ってくれるところとかは、演じている側としても充実感を感じられました。

自分でも「これでいいんだな」って思えるし、だからこそ、ポジティブな気持ちで頑張れたのだとも思います。