「線を引かれる自分」は対等と思われているサイン

たまに、自分の好きなものを受け入れてもらえなかったことで相手から線を引かれていると感じ、寂しさを覚えるという人がいます。

気持ちはわかりますが、たとえば好きな人が「実は好きじゃないのに自分のために無理をして好きなフリをする姿」が、果たして幸せといえるでしょうか。

そうではなく正直に「自分は違う」とするのはスタンスをきちんと見せてくれていること、対等な関係だと思うからこそ線を引いて自分の在り方を伝えているのであり、嘘をついていない状態ではないでしょうか。

その姿を受け入れる勇気は、等しく自分も相手に「違うことを知られてもいいのだ」の信頼になり、気持ちを伝えやすい距離感を作ります。

筆者が知っている長年幸せな交際を続けているカップルや強い友情で結ばれている友人には、この「違うことを伝えても居心地のよさが変わらない」が確実にあって、良い状態が続くのはまず自分がありのままでいられるからです。

愛情も信頼も今すぐ持てるものではなく、また誰とでも築けるものではないからこそ、それが叶う人の存在は何よりも大切にしたいですよね。

線を引かれる自分は拒絶ではなく対等だと思われているサインだとわかれば、そこからストレスのない距離感をふたりで作っていけることを意識するのが正解といえます。

好きな人、好きな友人ならずっと楽しく幸せな関係でいたいと思うのは当たり前で、そのためにはお互いにとって無理のない付き合い方を考えていくことが重要、それを決めるのが距離感です。

望む居心地のよさが叶わないと知ったときは潔く引くことも自分のためで、そのときも無理なく関われる距離感をみずから作っていく姿勢が不毛な衝突を避けられます。

どんな人とも正しい境界線を引く意識を持ち、自分を大切にできるつながりでいたいですね。

プロフィール:37歳で出産、1児の母。 これまで多くの女性の悩みを聞いてきた実績を活かし、 復縁や不倫など、恋愛系コラムライターとして活躍中。「幸せは自分で決める」がモットーです。ブログ:Parallel Line