『ビートフルデイ』は「はじまりのうた」だった
『ビートフルデイ』が歌われているときステージに目をやると、開演したときはモノクロのなかに沈んでいた街並みのセットが、カラフルな街並みに生まれ変わっていました。SMAPのエンタテインメントは、この世界を彩りつづけてゆく。色とりどりのセットたちは、コンサートを通して満たされた観客であるわたしたちの心の中そのものでした。
しかし。『ビートフルデイズ』を歌い終えた5人は、そんなカラフルな世界=セットに戻るのではなく、ステージから降り、ある場所から去っていきました。具体的な場所は書きませんが、彼らが向かった先が示していたのは、“現実”でした。自らが作り上げた夢の世界をこじ開け、わたしたちが生きる現実へと帰っていったのです。
それは、このコンサートが現実から隔絶されたユートピアではなく、あくまでいま・ここを生きる(厳しくも愛おしい)わたしたちの人生と地続きである、というメッセージでした。
そして、“俺らSMAPはどこか遠い世界の存在なんかじゃなくて、みんなとおなじこの世界に生きて、汗かいて必死でエンタテインメントを紡いでいるんだよ”“そしてこのコンサートが終わっても、これからもずっと一緒にこの世界で生きていこうぜ”、という高らかな宣誓でした。
『ビートフルデイ』という曲は、いっときのショーの終わりを飾るためではなく、これからも5人とともに歩んでいく世界へと一歩踏み出すための「はじまりのうた」だったのだと、このときはじめて気付かされたのです。
こんな切実かつエモーショナルなメッセージを、この国のトップを走り続けるアイドルグループが、あくまで全世代が楽しめる究極のエンタテインメント・ショーの最後の最後で、一見ファンサービスにも見えるようなさりげないかたちで、身を持って示していることの凄みに、自分は震えました。ヤバい。わかってるつもりだったけど、この人たち、やっぱりすごい。
<てきとうのてときととう~♪>と笑顔で歌いながら、こういうことをやってのけるんです、この人たちは。100万回愛してると言われるよりも、1億回がんばれと言われるよりも、自分はこの言葉のないメッセージが嬉しかった。SMAPと同じ時代に生きていて、よかった。心からそう思いました。
今回のコンサートでSMAPは、SMAPを求める人たちの想いに120%の精度で応えるどころか、さらに想像を超える姿を見せてくれました。今後のツアー中盤戦でも(もっと言えばこのグループが続く限りずっと)、SMAPはさらに変化・進化を続けていくでしょう。
次にSMAPがあなたの前に姿を現すとき、そこにはまだあなたが知らない、そしておそらくは5人もまだ知らない、誰も見たことのないSMAPの姿があるはずです。