障害のある人間は生まれてきてはならいのか

2015年11月、県の教育委員である女性が「出生前診断などの技術を使って障がい児を早めに見つけて減らせる方向に持っていけないか」といった主旨の発言をし批判を浴びました。

「妊娠初期にもっと障害の有無がわかるようにできないんでしょうか。4ヶ月以降になると堕胎できないですから」「ものすごい人数の方が障害者施設に従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」「茨城県はそういうことを減らしていける方向になったらいいなと」(2015年11月19日付の毎日新聞記事からの引用)

そして、この発言を知事が容認した事に対しても問題となりました。

私が特別支援学校の教員免許をとるとき、授業でこんな話を教授から聞いたことがあります。

『鉢植えに100個の種をまいたら全部が成長はしない。種のまま芽が出ないもの、途中から成長しないもの、曲がってしまうものがある。そんな種の犠牲の上に成長できる芽がある。
人間も生物だから同じこと。全員が健常者として生まれ成長するわけではない。だから、税金をそんな人たちのために使い、健常者は手を差し伸べなくてはならない。特別支援の教員免許を取ろうとしている貴方たちは、その使命を担っている。』

加害者も26年前は人の子として生まれ、可愛い天使のような赤ちゃんだったでしょう。でも、いつの間にか弱者抹殺の思想が染みついてしまったのです。
その思想の影響がどこにあったのかなどの真相は明らかにはされていませんが、少なくとも成長していく過程のどこかで、歪んだ考えが根付く要因があったのではないかと私は思います。

 

新型出生前診断でダウン症児だとわかると90%の妊婦が中絶しています。
しかし、この検査でわかる障害は染色体異常・二分脊椎・特定の遺伝性疾患などの一部の障害です。人口の6%~10%を占める自閉症などの発達障害はわかりません。

更に出産時の事故で脳性まひになることもあれば、普通に問題なく生まれてきても交通事故にあったり、病気をして脳にダメージを受けて障害児になる可能性もあります。
また、親自身が事故や病気、鬱病や統合失調症などの精神疾患にかかり障害者になることもあります。

そんなとき「あなたの子どもの存在は大変な税金がかかり迷惑をかけている。最初から生まれていなければよかった」といった発言をされたら、どのように感じますか?

私の息子は自閉症ですが、やはり障害者に対する厳しい視線を感ながら過ごしています。

今回の事件を“異常な人がやったこと”で片づけず、もう一歩近づいて考えてみて欲しいと思います。