あの画期的な番組“家フェス”が誕生するまでの裏側
新型コロナウイルス感染拡大に伴う全国的な自粛期間真っ只中の5月6日深夜、画期的な番組がオンエアーされた。それが、家フェス『STAY HOME,STAY STRONG〜音楽で日本を元気に!〜』だ。
フジテレビ地上波、CS放送フジテレビONE、動画配信サービス「FOD」で放送・配信されたこのプログラムは、総勢38アーティストが、思い思いのスタイルで収録した在宅パフォーマンスを繰り広げるという、まったく新しいスタイルの音楽番組だった。
リアル以上に響いた各アーティストのガチな思い、そして短い制作期間で番組を作り上げた制作スタッフのマジな思い、これらを実行委員長の氣志團・綾小路 翔とフジテレビの平野雄大が、その裏側も含めて語り尽くす。
── 番組オンエアから約1ヶ月が経って、いま感じていることは何ですか?
綾小路 思い返せば、4月7日に緊急事態宣言が発令されて、自分たちのような音楽を生業にしている者からすると、“いったい何からどうやればいいんだろう…”と立ち尽くしている状態の時に、(平野)雄大さんたちが「家フェスをやろう!」って言ってくれたんですよね。
我々にとって、一番やりたいことであるライブが、一番やってはいけないことになってしまった。絶望しかけたその時に一筋の光が射した瞬間でした。
そこからあまり時間はなかったんですけど、みんなで一丸となって向かっていくことができました。その中でいろんなことを考えたり感じたりすることができたおかげで、次に踏み出す一歩が見えたなというふうに感じていますね。
── 番組を立ち上げる経緯はどのようなものだったんでしょうか?
平野 レディー・ガガがキュレーターを務めた『One World:Together At Home』を見て、日本でも音楽で何かアクションを起こせないか、と強く思いました。
東日本大震災の時もそうでしたけど、音楽の力ってやっぱりすごくて、音楽はこれまで何度も日本を元気にしてきたんですよね。
でも今回は彼らミュージシャンもある意味被害者で、思うようにライブ活動できなくて…。テレビだったら感染リスクのないフェスができるんじゃないかと思って、すぐに翔さんに相談しました。
── 局内の反応はどのようなものでしたか?
平野 現場の担当は直ぐにのってくれましたけど、そんな急いでやってもシャビーになるんじゃないの? とか、他局とも足並みを揃えたほうが良いのでは? みたいな意見もありましたし、そもそもテレビがやることなのか? などネガティブな意見も多々ありました。
でも、兎にも角にも、いち早くアクションを起こすことが大事なんだと、見切り発車で暴走に近い感覚で始まったっていうのが正直なところですね。
綾小路 この状況の中で日本を代表するアーティストが何10組と出演する、しかもリモートでパフォーマンスするというのは初めての試みなわけで。
そうした前例のないことに対して二の足を踏むっていうのは、ある意味仕方がない反応だとは思うんですよね。それは東日本大震災の時もそうだったんですし。
あの時もまずはストリート出身のバンドマンたちが動いた。彼らが被災者の方々のためにがむしゃらにアクションを続ける姿を見て、放送局なども立ち上がった。その構造というか、順番というか、それって基本的には変わってないと思うんです。
でも今回はそうじゃなくって、まずフジテレビが立ち上がるっていうことに感動しましたし、そこでの大役を僕にっていうのは、何しろ光栄でしたね。
だって、大先輩のミュージシャンや新進気鋭のアーティスト、トークのプロフェッショナルの方々など、ふさわしい人はたくさんいるわけじゃないですか。その中で僕に白羽の矢を立てていただいたっていうのは、昂ぶりましたね。
それで、実際に企画概要なんかを拝見して、200%の賛同しか覚えなかったんです。だとしたら、中途半端に関わるよりも、もっと真正面から思いっきり一緒に作りたいって思ったんですよね。
ちょっと呼ばれて、台本を渡されて、うまく番組を進行していくという、いわばテレビにおけるプロフェッショナルなスタイルは、僕の苦手なことかもしれないと思ったんですよ。
出演してくださるアーティストの皆さんとは、音楽的につながっている方やリスペクトしている方ばかりでしたし、もっともっと僕自身が踏み込んでいきたい。
だったら、俺に看板張らせてくれませんか? 神輿の上に乗るんじゃなくて、俺にも担がせてくれませんか? そういう図々しいお願いをこちらからしたんです。
そしたら雄大さんをはじめ、番組スタッフの方々に、ぜひお願いしますって言っていただけて、そこで僕の中に一本筋が通った感じがしました。だって、そもそも雄大さんと初めて出会ったのは氣志團のデビュー前。ライブハウスでの対バンだったんですから(笑)。
後からフジテレビの人って聞いてびっくりしたくらいで。そんなところから始まってるんで、一緒に担ぎたいって思ったんですよね。
もし下手打ったとしても、みんなであやまろーぜ、じゃないですけど(笑)。だから、今まで経験させていただいたテレビの中で、一番緊張しましたし、同時に一番安心感がありました。
平野 翔さんが表に立っていただくことが決まってから、一気に動き出しましたね。やっぱりテレビ局がやる企画っていうだけじゃない、ホストの顔が見えている安心感っていうんですかね。
出演してくださるアーティストの皆さんにとっても、視聴者の皆さんにとっても、翔さんが背負ってくださったことが成功の一番の要因ですね。