映画化を決意したのは2016年。だが現実を目の当たりにした
これは作品内で触れられていることだが、小川は「日本をよくしたいオタク」。そもそも総務省の役人から政治家へ転身しようと思ったのも、官僚のトップになっても、国の抱えている問題などを解決できないことに起因している。
彼の政治姿勢であり人間性を端的に表しているのが、「51と49」という選挙の考え方だ。
これはたとえ選挙を勝ったとしても、負けたとしても、自分を支持してくれた人も、支持してくれなかった人も同じようにその想いを受けとめなくてはいけないということ。「51と49」。そこに大きな差はないと小川は考えている。だから、選挙で議席を争う敵陣のことも慮る。
「甘いと言われそうですけど、いま、こういう政治家がほかにいるかなと。現在の世界的な政治の潮流でいうと、分断が主流ですよね。トランプ大統領がそうであるように、自分の反対意見には耳を貸さない。逆らう者は容赦なくこき下ろす。そういうリーダーが世界で続々と台頭している。こうした政治の潮流に入ると、小川さんのような政治家は外へ外へとはじかれてしまう。
そして、いま政治の場の言葉がすごく乱暴で汚い発言が飛び交っている。そういう中で、小川さんのような正当な発言やきちんとした説明がかきけされてしまう。これはすごく残念なことですよね」
ということからわかるように、期待はすれど事はそううまくは運ばない。小川は当選を重ねながらも、総理大臣どころか、党での発言力をもつまでにも至らない。
「映画化を決意した2016年ぐらいですかね。彼は上にいけないんじゃないかなと思いはじめました。政界という特殊な世界では、彼のようなタイプの人は認められない。しかるべきポジションを得ることができない。その現実を僕自身目の当たりにしました。
中央官庁出身で、ある県の副知事も務められた方が映画を観てくださったんですけど、『なぜ君は総理大臣になれないのか』というタイトルを見て、『なにをたわけたことをいっているんだ』と思ったと。
その方いわく、いまの総理大臣には、『貴族のような特別な政治家以外はなれない』と。つまり、自民党の二世三世議員を指していて、『もはや総理のイスにはそういう人たちにしかつけない』というわけです。実際、そうなってしまっている。」
この作品が記録した小川の苦難の活動はさまざまな問いをこちらへと突きつける。
いまの選挙制度はこのままでいいのか?わたしたちは選挙できちんと人となりをみて選択しているのだろうか?政治は誰のためにあるのか?メディアは政治の何を報じてきたのか?わたしたちは政治のなにに耳を傾けてきたのか?その問いは、わたしたち自身にその答えを考えさせる。