公共の場で授乳するママに対し「子どもに少し我慢させて移動したら?」「外出前に済ませてきたら?」という声も。赤ちゃんのためにはどうしたら?

母乳育児に関する国際認定資格者IBCLCとしてママの支援にたずさわっている新生児科医・奥起久子先生に聞きました!

「授乳=栄養を与える行為」というのは大間違い?驚くべき赤ちゃんの生命の仕組み

――母乳育児中のママのひとりとして、奥先生にお伺いします。我が子がおっぱいを欲しがって泣いたら、場所がどこであれ、すぐにでも授乳してあげたい!と思うのですが、「ベビー休憩室へ行ったら?」「次の駅で降りたら?」といった意見もあると聞きます。

どんな選択をしてあげるのが、赤ちゃんの心と身体にとっていいのでしょうか。教えてください。

奥起久子先生(以下、奥):今日は新生児科医として、またIBCLC(国際認定ラクテーション・コンサルタント)として、お答えしていきますね。

まずは「長時間授乳しないなんて、赤ちゃんは大丈夫なの?極端な言い方をすると、死んじゃうんじゃないの?」というのは当たり前なんですが、ここでは「栄養を与えられていても死んじゃう」というお話からしましょうか。

――「栄養を与えられていても死んじゃう」?どういうことでしょうか?

奥:英語で授乳というのは「Breastfeeding」ですが、この単語は「母乳栄養」と訳すよりも「母乳育児」と訳すことが多いです。それは授乳と言うのは“栄養”を与えるだけでなく“育児”という部分がとても大切なことですよ、ということを表しています。

19世紀、ヨーロッパの孤児院では0歳児の生存率はゼロでした。人工栄養が今のようなものでなかったこともその一因ですが、ゼロとは!あまりにも悲しく、重い数字ですね。

そこで機械的に時間がきたら栄養を与えるのではなく、それぞれの赤ちゃんの養育をする人を専任にするなど工夫を重ねたところ、なんと生存する赤ちゃんが出たそうです。生存には“栄養”だけでなく“育児”という行為が不可欠だったということですね。

赤ちゃんの生存のために必要不可欠な「授乳」と、公共社会の関係とは?

――「生存には“栄養”だけでなく“育児”という行為が不可欠」なことと「公共の場での授乳」が、どのように関わってくるのか、もう少し詳しくご説明いただけますか。

奥:ママと赤ちゃんにとって「一緒にいる」ということは、単に“栄養”という観点からのみならず“育児”という観点からも、子どもたちのために必要なことであり、社会においても尊重されなくてはならない。

19世紀のヨーロッパでのお話は、ママではなく養育者という立場になりますけれども、それを物語っているわけです。

また国連が定め、日本も批准している「子どもの権利条約」第9条でも、冒頭で「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。」と謳っています。ママと赤ちゃんが「一緒にいる」ことは、保証されている権利でもあるのですね。

ママと赤ちゃんが「一緒にいる」ということは、抱っこをしたり笑いかけたり、スキンシップをしながら“育児”をするということであり、赤ちゃんにとって“育児”の最たるものが「授乳」です。

赤ちゃんの生存に不可欠な“育児”という行為と、ママと赤ちゃんに保証された権利を、たとえいかなる理由があるにせよ、社会が阻むことはできないのではないでしょうか。

――「一緒にいる」ことの大切さは、実感としてよく理解できます。社会がそれを阻むことはできない、という考え方も非常に心強いです。ただ実際のところ、赤ちゃんはいつだって時も場も選ばずにおっぱいを欲しがりますし、周りの人にとっては「あえて公共の場でしなくてもいいんじゃない?」ということもあるようで……ママとしてどのように“育児”をしたらいいのか、悩んでしまうのですが。