LAZY 撮影/岩佐篤樹
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1973年、小学校からの同級生である影山・高崎・田中でバンドを結成し、その後、影山が井上を、高崎が樋口を誘いLAZYは誕生した。

アイドルとして人気を博していた彼らだが、バンド名にディープ・パープルの楽曲を用いていることから、日本のロックシーンの礎を築く存在になることは、結成当初から決まっていた運命だったのかもしれない。

世界を蝕むコロナウイルスという目に見えぬ怪物の猛威に阻まれ、エンタテインメント業界は活動を大きく遮られることとなった。そんな中で集まったミッシェル(影山ヒロノブ)、スージー(高崎晃)、ポッキー(井上俊次)。

高崎が6月5日に“LAZY集まって地球号に乗っている”というコメントと共に3人の写真を自身のtwitterにアップすると、即座に多くのファン達からLAZYの活動を渇望する声が寄せられた。

彼らがこの日掲げた『7 SAMURAI PROJECT』とは!? ラストアルバム「宇宙船地球号」完全再現ライブの映像配信にあたり、影山・高崎・井上に話を訊いた。 

「大人になった自分たちが世の中の力になれることが何かある」

――今回、LAZYとして集まった経緯から伺ってもよろしいですか?

高崎:今回、プロデューサー的な存在で動いてくれている人がいるんですけど、そもそものきっかけはそこなんです。その、一原プロデューサー(※広告代理店兼プロジェクト企画・プロデュース業を行う株式会社ファースト フィールド代表取締役社長)というのが、僕と影山くんの小学校からの同級生なんですけど、彼と食事しながら話していたなかで、コロナ禍で自分たちが力になれることってないだろうか?っていう話題になったんですよ。

何か世の中の為にできることってないやろか?って。そこで、自分たちも子供の頃、音楽にすごく救われてきたり、元気をもらったりした経験があったよなって、改めて感じたんですよね。ロックに元気づけられたり、勇気づけられたりしたことが何度もあったから。そういう経験もありながら、俺たちも歳を重ねてきていて。

今、世の中がこういう状況になってしまって、大人になった自分たちが力になれることがあるとしたら、自分たちの音楽でみんなを元気にすることなんちゃうかな?って思ったというか。そこで、一原くんが、『7 SAMURAI PROJECT』というプロジェクトを立ち上げてくれて、いろいろな試みで世の中の力になれたらいいなと考えたところからなんですよ。

――今回LAZYとして集まったきっかけは、まさにそこだったんですね。

高崎:そう。このプロジェクトの第一弾って感じですね。

影山:タッカン(高崎)からその話を最初に聞いたとき、“それ最高やん!”って言いましたね。自分自身も、コロナによって活動がほとんど止まってしまった状態だったし、LAZYとしても一昨年の年末に一度ライブをやったきりでやれていなかったから、しばらくは無理だろうなぁって思っていたんで、タッカンからプロジェクトの話を聞いて、第一弾として“LAZYやろう!”って言ってくれたのは、本当にめちゃくちゃうれしかったし、ファンのみんなもうれしいだろうなって。

井上:うん。話をもらったときは純粋にうれしかったね。僕は個人的に、ふたりとは違って、普段はステージに立っていないので、本当に1年半ぶりのライブにもなるということもあって、本当にうれしかったです。

高崎:ライブだけでなく、少し前まで映画館とかも閉まっていた状況だったでしょ。そうやってみんなの楽しみが奪われていたり、そこに仕事として携わってる人たちが経営的に苦しい状況になっていたり、経済を止めていることによって多くの人たちが苦しい状況にあるのを見てられへんかったというかね。ほんまに力になりたくて。ほんまにそこやったんですよね、発端は。

――素敵です。みんなを笑顔に出来る力を持ったプロジェクトだと思います。通常な状況でもうれしいのに、こういう状況下にあってもやってくれるということが、どれだけの力になるか。本当に多くの人の力になるプロジェクトだと思います。『7 SAMURAI PROJECT』というプロジェクト名の由来は?

高崎:一原くんが命名したんやけど、彼が黒澤明監督の『七人の侍』が好きだからっていう、めちゃくちゃ単純な発想やと思うけど(笑)。

一同:(爆笑)

井上:なるほど、黒澤作品からの命名だったわけね(笑)。

影山:でも、そこには日本に昔から伝わるスピリットがあって、武士道だったり、侍の魂や生き方だったりっていうストロングな意識がある。ロックとも相性がいいし、そこと、今のコロナにやられっぱなしな現状を打破して希望に強く立ち向かっていく上で、如何なる逆境にも負けないっていう心を重ねた感じというかね。まさに、侍魂を持って突き進んでいけたら、という想いが込められてるんです。

日本人魂というのを言い表した言葉ということで、一原くんとタッカンがプロジェクト名として選んでくれた言葉です。