多幸感に満ち溢れていた
――車内で人の死に際の話をしながら、冬海さんとハーゲンダッツを食べるシーンがとても良かったです。あのときはどんな感情で演じられていたのでしょうか?
これは歩のバックグラウンドに関わるのですが、映画の中で描かれてはいないんですけど、このお話はもともと三島さんが東北で震災のボランティア活動をしているときに思い付いたものでもあって、歩は東北出身で、親族を震災で亡くしているんです。
もともとは長編で撮ろうと思っていたものを、今回、短編にしたこともあって、そういう過去は描き切れてはいないですけど、それでああいう言葉を言っているんです。だから、観ている方には歩のバックグラウンドは伝わらなくても、何か誰かの心に残ればいいな、とは思っていました。
――それまでは歩に無機質な感じがあったのですが、あの瞬間、歩の人としての片鱗が見えた気がしました。
歩は人生に少し投げやりになっていた部分はあると思います。お金だとか、目に見える形でしか大切なものが語れなくなっていて。
僕自身にも、例えば、映画だったら興行収入が大事とか、そういう部分しか見えなくなりそうなこともあったけど、そのたびに、作品が何とか僕を人間らしいところに引き戻してくれているのかな、とも感じます。
たぶん、歩にとってはそれが冬海さんという存在だったのかな、と。大切なものはお金だけじゃない。それを取り戻すきっかけになったのだと思います。
――藤原さんは本作について「頭が真っ白になるような喜びを味わいました」とコメントしていましたが、それはどういう意味ですか?
ネタバレになってしまうので詳しくは話せないのですが、ラストシーンを撮っている瞬間は、余計なことが何も考えられなくなっていました。僕自身がこの物語にすごく救われているんだな、と感じていました。
この作品に入る前は、結構、悶々とした生活を送っていて。スマホやテレビから入ってくる情報に踊らされて、あたふたして、怯えて暮らしていたんですけど、(ラストシーンの)あの場所に立った瞬間は多幸感に満ち溢れていました。
そんな環境を三島さんがまさに現場で泥だらけになりながら与えてくださったので、本当に頭が真っ白になるような感覚でした。
――そのようなことは他の作品でもよくあることなのですか?
ないですね。たった2日間の撮影だったんですけど、あそこまで一つの役に入れ込んだことはこれまでなかったです。撮影前に10日間、歩として生活していたんですけど、それもあまりやったことがなくて。
不思議な体験でした。振り返ると、僕自身、この作品に何かを懸けて臨んでいたんだな、と思います。