生きていれば何かを解決する可能性はある

撮影/小嶋文子

――本作と磯村さんが監督を務めたショート・フィルム『機械仕掛けの君』は、テイストが似ている気がしました。こういう社会問題を扱うことには興味がありますか。

自分が作る上では社会問題なしでは作れない気がしますね。特にそういうものに自分の興味があるというのもありますし、今起きていることを取り入れないと物足りなく感じてしまうんです。作っている感覚が無くなってしまうというか。そういう思考が強いんでしょうね、きっと。

それはたぶん伝えたいという想いがあるからだと思うし、平和にしたいという想いがあるからだと思います。

――ニュースやドキュメンタリーを観ていてアイデアが湧くことも?

ありますね。ただニュースで取り上げられていることを単にピックアップして脚本にしても薄い内容になってしまうので、そこからさらに詳しく調べていく作業が結構大変で。僕の興味があるものは表現しづらいというか、触れるのが難しいものが多いんですよね。

撮影/小嶋文子

――本作でも、『機械仕掛けの君』でも近未来が描かれていましたが、今、磯村さんには“未来”はどんなふうに見えていますか。

未来についてはよく考えるんです。都市伝説とかも好きなので(笑)、そういう観点から自分の中で考察をしてみたりもします。あとはロシアとウクライナの国際問題とかを見ていると、このまま戦争が長引いてリセットが始まるんじゃないかとか。

リセットがどういうものかははっきり言えないですけれど、戦争によって多くの人たちが命を失う可能性があることを考えると、この先って悲しい未来なんですよね。それでリセットが起こって、汚いものはすべて流れて消えて、またゼロから始まるってことになりかねない。

ただこれだけ長い人類の歴史があって、軌跡があるので、そうもいかないとも思うし。だから本当に平和になってほしいと願うんですが、悲しことに一生平和にはならないとも思ってしまうんです。

撮影/小嶋文子

――そんな未来を私たちは生きていかなければならないですよね。

難しいですよね。まさにこの“プラン 75”の世界でもありますけど、未来に希望がないのであれば死を選択するというのも一つの意見だとは思うんです。

けれど僕は、それはすごくもったいない考え方な気がしていて。せっかくなら最後まで見届けて死んでいく方がいいと思うんです。

確かに生きることは怖いのかもしれない。でも生きているということが大事で、生きていれば何かを解決する可能性はある。逆を言えば、生きることをやめてしまったら、変えられたはずのものを、変えられずに終わってしまう可能性がある。だから僕は少なくとも生きていくことをやめてはいけないと思うんです。

それで、自分が「違う」と感じたものに対しては声をあげていく。そういうことを積み重ねていけば、悲しい未来もきっと変えられると思うんです。それが「怖いから死んでしまおう」という考え方では変えることができなくなってしまうので。

僕らがちゃんと真っ直ぐに生きて、手を取り合って、声をあげて、変えていこうとすれば、いい未来になるチャンスはあると思います。僕はそういう時代を見ていきたいなと思います。