9月、特別公演「君と僕だけが知らない宇宙へ」と題し、東京・中野サンプラザ(22日)と大阪・オリックス劇場(28日)でのホール公演を控えている銀杏BOYZ。
開催地の中野は、銀杏BOYZおよび峯田和伸のヒストリーを語る上で絶対に欠かすことができない街、そして大阪は、近年峯田が「セカンドハウスを借りて住みたい」と語るほど思い入れのある街である。
ここでは、この東京・中野、大阪ふたつの公演地での伝説、思いなどを峯田本人に聞く。前編は「知られざる『銀杏BOYZの中野事件簿』」として、いくつもの伝説・事件簿を本人に聞いた。
15年間、中野界隈で暮らしていた峯田
――銀杏BOYZの様々な伝説が生まれた、東京の中央線沿線の中でも特に中野には、バンド活動にまつわる様々な事件が起きたエリアですね。
峯田 僕はずっと中野に住んでたからね。今はもう離れちゃったけど、2005年に中野に引っ越して、2020年までの15年間、中野界隈に住んでた。だから、この取材で久しぶりに中野に来たわけだけど、やっぱり他の街に行くのとは違う特別な感じがある。簡単には来られないですね。
自分の人生を振り返っても、20〜30代っていう大切な時間を過ごしたのが中野だし、そこにはバンドもプライベートも恋愛も全部詰まってたからね。今は別のところに住んでるけど、ときどき思うことがあるもんな。「もう一度中野に住みたいな」とかね。
銀杏BOYZ、中野を舞台にした12の事件とは!?
――そんな中野ですが、銀杏BOYZ、あるいは峯田さんにとっての様々な伝説・事件を12個ほどリストアップしました。おおむね、以下の感じかなと思います。ちょっと振り返ってみましょう。
中野に住みたくなった峯田。雑誌の企画を利用して、様々な中野の部屋を探す事件
それまでは世田谷・若林で暮らしていた峯田。中野ブロードウェイにある「まんだらけ」などに通うために中野に引っ越しをしようと決意。
この引っ越しに先立って『たのしい中央線』という雑誌の企画で、中野エリアの部屋探しを決行した事件。この取材+部屋探しでは、住む部屋は見つけられなかったものの、後に本当に中野界隈に住むことになった。
メンバーから峯田の誕生日に「中野の部屋」をプレゼントされ、そのまま住む事件
28歳の誕生日(2005年12月10日)に、銀杏BOYZのオリジナルメンバーからプレゼントとして渡された合鍵。その合鍵が使える、中野の早稲田通り沿いのマンションの1室は、峯田の居住用にメンバーが借りたものだった。峯田は迷わずそのままこの部屋に引っ越すことになったという事件。
中野駅前での、金粉ゲリラライブ映像撮影事件
劇団・ヨーロッパ企画のメンバーより「短編映画祭のための、映像作品を出品してほしい」と声をかけられた銀杏BOYZ。この映像作品のために「中野駅前でメンバー全員金粉を身にまとってのゲリラライブ」を決行し、その様子を収めることにした。
しかし撮影当日、現場の中野駅前に来たのは峯田を除く3人のメンバーのみ。峯田は「体調を崩した」という理由から参加できず、やむを得ず3人のメンバーが中野駅前で金粉になりゲリラライブを決行した。
しかし、峯田の「体調を崩した」というのは実はウソで、3人のメンバーが金粉でライブをしているところに、峯田が知り合いづてのヤンキーを手配し、わざと因縁をつけて絡ませ、警察官が駆けつける事態となった。
事情を全く知らない3人のメンバーが右往左往する様子を映像に残し、映像作品として完成させた。「スッゲー面白い映像になった!」と峯田は喜んだが、後で3人のメンバーが激怒したという事件。
シングル「あいどんわなだい」MV撮影で、漫画喫茶ローショングチャグチャ事件
2007年に銀杏BOYZが発表したシングル「あいどんわなだい」。このミュージック・ビデオの撮影の舞台となったのが中野の漫画喫茶だった。
漫画喫茶を借り切っての撮影だったが、数時間借りるはずが24時間に至り、予定を大幅にオーバーした上、店内をローションだらけにしてしまった。漫画喫茶のスタッフから「聞いてないですよ。どうしてくれるんですか」と怒られ、その後必死になって掃除してお詫びしたという事件。
中野ブロードウェイに住み始める事件
メンバーが借りてくれた部屋に飽きた峯田。「より『まんだらけ』に近いところに住みたい」という理由から、中野ブロードウェイの居住階に住み始めた事件。