俳優・田中圭が挑む次なる舞台は、11月に世田谷パブリックシアターにて開幕する、松田正隆作、栗山民也演出の『夏の砂の上』だ。職を失い、妻に捨てられた主人公(田中)のもとに、家を出た妻、娘を連れた妹がやって来て……。『チャイメリカ』に続く栗山との二度目のタッグで、静かに、ゆっくりと動き出す人間ドラマの深層を覗く。
もう一回、栗山さんと舞台がやりたい
――主演された舞台『チャイメリカ』(2019年上演)以来となる世田谷パブリックシアター公演、栗山民也さんの演出で、また違った味わいの作品に挑みますね。
『チャイメリカ』の公演が終わった後、「いつかもう一回、栗山さんと舞台がやりたい」という話をしていて。そこで栗山さんが選んでくださったのがこの『夏の砂の上』だった……と聞きまして。
戯曲を読んでみて、正直、最初は地味な展開の作品だなと思っていたんです(笑)。どうして栗山さんはこれを僕に、と思ったのだろうと。栗山さんは「物足りないと思うかもしれないけれど、台詞ではないところで語ったり、背中で語ったり、そういうことを圭にやってほしい」とおっしゃっていたと聞いて「なるほど、やってみるか」と。
でも、それはずいぶん昔に読んだ時の感覚で、最近また読み直してみたら、この戯曲、地味と感じた展開のなかに何かが潜んでいるな! と感じて。それが何かは分からないけれど、心に引っかかるものが絶対にいる。それを稽古を通して、本番の舞台を通して感じ取ることがすごく楽しみですし、また栗山さんがこれを選んだ理由、栗山さんから見えているこの劇の世界を知るのも楽しみです。
地味と言いましたが、僕はもともとこういった穏やかな空気が流れている世界、でもその深みに何かが潜んでいる作品が好きで。久しぶりに「舞台やるんだな!」とワクワクした気持ちになっています。
――この作品の初演は1998年で、戯曲に記された背景は“坂のある街、港のある地方都市”となっていますが、作者の松田正隆さんが生まれ育った長崎を舞台に描いた作品です。物語にはどのような感想を持たれましたか?
田舎町の、とても小さな世界での出来事が綴られていて。何となく、すごく残酷だなと感じました。自分とも、他人とも、時間とも向き合わざるを得ない、ごまかせるものが何もないって辛いよな、と。
例えば今なら携帯を見たりして、注意を逸らせるものがいっぱいあるじゃないですか。悪い言葉で言えば、逃げやすかったり、夢中になった気になれたり。それが出来ず、現実に向き合うしかない、そんなこと俺、耐えられるのかな……と思いながら読んでいました。
そして向き合えば向き合うほど、誰もが皆、くだらないんです(笑)。やっぱり迷いも不安も、皆持っているわけじゃないですか。そういうところとちゃんと向き合わなければいけないなんて、酷だなと。
――そういった人間模様を構築していく作業は、もしかしたら精神的に厳しい時間になるかも?
どうですかね。僕、役に影響されるとかを自分ではそんなに気にはしていないので、まったく分からないのですが、後々「あの時、圭、結構キツそうにしていたよ」と周りから言われることがあって。そうなんだ、と後から思うことが多いです。
――『チャイメリカ』で、後世に残る“天安門事件の一枚の写真”を撮ったジャーナリストを演じた時はどうだったんですか? 重圧とか……。
全然ないです。あの時は、すごく面白い本をやっているな!という実感のみで。あれは本当に面白かったし、難しかった。作者のルーシー・カークウッドは僕と同い年で。彼女の思考、彼女の表現したいことの一部でも知ることが出来ればなと思ってやっていましたが、結局ちゃんとはつかめずに終えてしまった気がします。