「米とおしんこと味噌汁は旨いものを出せ」
創業から数年後、靖国通り沿いに天ぷら専門の三丁目店を開業。その後、神田三崎町、神保町二丁目でも天ぷらを揚げることにした。この国が高度経済成長期を迎え、右肩上がりだった時代、三朗さんは大衆食堂の多店舗展開に着手したのだ。
そして40年ほど前、「人生劇場」の近くに天ぷらととんかつ屋を構えた。現在のとんかつ屋は、「いもや」の長い歴史の中ではいちばんの新参者だそうだ。
天ぷらと天丼の店だった「いもや」が、なぜとんかつを始めたのか。その理由を由香さんは「父から何も聞いていない」そうだ。
「米とおしんこと味噌汁は旨いものを出せというのが、父の口癖でした」
「いもや」で不味いご飯を出された記憶はまったくない。いつも粒が立った温かいご飯だった。大きなガス釜で炊いたご飯を、大きなしゃもじで丁寧におひつに移していたものだ。
「いもや」といえば、シジミの味噌汁。とんかつの「いもや」でもシジミの味噌汁が定番だ。
味噌は赤味噌と白味噌のブレンド。20年以上前までは赤味噌と白味噌を届けてもらい、三朗さん考案のレシピでブレンドしていたという。現在は「いもや」仕様にブレンドしてもらった味噌を送ってもらっている。
「昔はおしんこ部屋があり、全店舗用におしんこを作っていました。白菜を茎の部分で4つに切り分け、塩をしたものを容器に入れ、重石を置いて水を上げます。それからまた漬けかえるので、手間がかかりました」
いまは早く漬かるように、ざく切りにした白菜を漬け込んでいる。若干作り方を変えたとはいえ、手間がかかることは言うまでもない。朝7時頃から天ぷらのタネを仕込みながら、おしんこの白菜も作っているのだ。
天つゆも自家製。店内でかえし醤油を作る。そのかえし醤油を、かつお節でとった出汁で割り、天つゆに仕上げる。蕎麦屋だとかえし醤油をいく日も寝かせるようだが、「いもや」の場合、その時間も場所もないのですぐに使うのだそうだ。
天ぷら油は、「かどや」のごま油を長年愛用してきた。
「安いものを探せばいくらでもありますが、うちは昔から『かどや』。一度も変えたことがありません」由香さんは言い切った。
とんかつソースも、かつては自家製だった。中濃ソース、ウスターソース、ケチャップをブレンドし、砂糖を加えたものを炊いていた。そのレシピも三朗さんが考えたものだ。ここ数年は手が回らなくなり、業者に作ってもらっているという。
「とんかつを揚げる油は白絞油。香り付けにラードを加えています」と大森金三さんは教えてくれた。
大森さんは、「いもや」と同い年の昭和34年生まれ。22歳のとき、とんかつの「いもや」に入店。以来、とんかつ一筋の人生を過ごしてきた。
「ヤスオちゃんがうちのお客さんで、昔、『ぴあ』で紹介してもらったことがあります」(大森さん)
『なんとなく、クリスタル』で一躍有名になった元長野県知事で、元参議院議員の田中康夫さんも、「いもや」を贔屓にしていたというのだ。
「夏はぬか漬けを出していました。ぬか床も自家製。本当ならいま頃から、ぬか床の準備を始めるんだけど……。今年はやっていません、3月で〆るからねえ」
止める決心をしたのは2月のことだ。