安興洞の路地を歩く

安興洞で出合った年季の入った木工所

旧市場を出て新市場に向かう。韓国最長の河川・洛東江沿い、安興洞にある市場だ。都会ではなかなか見られない、色あせた昔ながらの建物が連なっている。

路地に分け入ると、低いスレート屋根の家と、瓦を載せた韓屋(伝統家屋)が狭い道を挟んで向き合っている。

積年の跡を覆うように青や黄のペンキで塗られた壁と塀。そして青や緑の鉄製大門。灰色のセメントとのコントラストが鮮明だ。

この辺りには屋根の上に赤い旗を掲げた家が目立つ。

安興洞で見かけた占い師の家

「方位」「金運」「結婚運」「愛情運」「相性」「凶日」などの文句が書かれた看板が目につく。

巫女(ムーダン)や占い師たちの自宅兼店だ。

新市場でタコを買う

新市場でタコを商う魚屋さん

新市場は常設市場だが、2と7がつく日には五日市が立つ。

全国の酒場を巡り、2007年に出した『マッコルリの旅』という本のなかで、箸で茶碗を叩きながら歌い踊っていた市場商人の飲み会に混ぜてもらった場所でもある。

市場の路地には、「つまみ一切」という今ではあまり使われない言葉が書かれた小さな酒場兼食堂が並んでいる。

儒教文化が発達した安東は祭祀(法事)が多いことで有名だ。そのときの膳に欠かせないのがムノ(タコ)。

ムノは漢字で文魚と書くため、文を尊重する安東の両班に好まれた。

タンパク質・ビタミンB、カルシウム、不飽和脂肪酸を豊富に含むため、夏バテからの回復を助けるといわれている食材だ。

市場の中には大きな釜で茹でたタコを売る店が多い。店のおばさんに声をかけられたので試食してみる。

甘味がある。歯ごたえもいい。おばさんの気持ちに応えて、今夜の酒のつまみに切り身を1パック買った。

タコとともに、ドンベギと呼ばれるサメ肉も祭祀の膳に必ず上がる。

他の地域ではあまりなじみのない食材だ。

この市場にはクッパ通りがあり、赤や黄の派手な看板が鮮烈だ。堂々と補身湯(犬肉スープ)の看板を掲げる店もある。

ソウルでは1988年のオリンピックの前、外国人の目を気にして補身湯の店の多くが路地裏に移転させられたが、我が国の伝統的な食文化である。

五日市の日は、道端で野菜、果物、魚、干物などを売るおばさんたちと買い物客でごった返す。

五日市の日は周辺の農家のハルモニが路上で産物を商う

韓国の田舎町に行くときは、事前に五日市の日を調べて出かけると、昔ながらの市場風景に出合えるだろう。

昔ながらのマッコリ酒場を17年ぶりに再訪

2006年当時の良宮酒幕

日が落ちた安東旧市街に、淡い光を放っている韓式居酒屋があった。

前述の『マッコルリの旅』の取材で2006年に訪れた「良宮酒幕」だ。酒幕という言葉に惹かれて入ったと記憶している。

酒幕とは日本風にいえば峠の茶屋のような酒場で、かつては宿も兼ねていた。

古い韓屋を使ったこのデポチプ(マッコルリ酒場)。かつて物資が不足していた時代、壁に新聞紙を貼ったものだが、それを意識してあえて新聞紙を貼って雰囲気を出している。

(中略)先ほどの新市場での宴のことを話すと、女将は「私も歌が好きなのよ」と言った。そこまで言うなら、一曲お願いしなければ。

韓国歌謡の女王イ・ミジャの『椿姫』。のびやかな高音の女将の歌がまたマッコルリを誘う


出典(『マッコルリの旅』第二章 忠清北道・安東の旅)

 

『マッコルリの旅』の取材から17年。取材した店の多くが女将の高齢化で廃業している。

「良宮酒幕」は移転して姿こそ変わったが、旧市街の片隅に依然として光を灯している。なにより女将が現役なのがうれしかった。

2006年の訪問時、歌を唄ってくれた良宮酒幕の女将

メニューは焼きサバ、ペチュジョン、トトリムクなどマッコリに合うものばかりだ。

中央左が良宮酒幕のペチュジョン(白菜チヂミ)、右がムシガレイの和えもの

女将が丹精した手料理の数々は17年前と変わらなかった。そして、その歌声にはさらに年輪が感じられた。

数え切れないほどの夜 胸を切り裂く痛みに耐え

どんなに泣いたか椿娘 恋しさに胸焦がし 泣き疲れ

出典(『椿姫』)