―家族の支え

M:現地で応援していたようですが、どういう心境で応援していましたか?

鮮輝:
とにかく、最初はびっくりしました。
これまでの現状を知っていましたから怪我なく無事に走り終えてくれたら良いな、と母と一緒に25km手前くらいで応援していました。

でも、いざ目の前を通過するとき、後ろに海外選手を引き連れて先頭を走っていました。いったい何が起きているの!?って。

元々その地点での順位を兄に伝える予定だったのですが、先頭できちゃいましたからね。想定外すぎて応援している方がパニックです。

鴻輝:
私は現地で応援できなかったのですが、20kmまで先頭集団にいられれば、良いところにいくだろうなって思っていました。

これまでのレースでも20kmまでペースメーカーにつけているときは、そのあとに大失速ってなかったと思います。ダメなときは20km手前で脱落しています。

ロンドン五輪の選考レースの2011年の福岡国際マラソンでも、直前まで風邪を引いていて練習ができていなかったのですが、今井選手とデットヒートをして、日本人トップの3位。

過去にそういうこともありましたので、全然練習できていなくても、今回も2時間12分くらいではまとめてくるだろうなと思っていました。

全然練習できてないといっても、実はこちらも騙されていて、実際はかなり練習していたようです。

M:今回の福岡国際マラソン前には長い距離を意識して練習していたと聞きましたが。

鴻輝:
レース2週間前から1週間前にかけて、50kmのジョギングを2回、他にもかなり走りこんでいました。

鮮輝:
スピード練習を入れると、かなり脚に痛みが出たようなのですが、ゆっくりと距離を踏む分には痛くなかったみたいです。

なので、できる練習を消去法で考えていったら、距離を踏むしかないとなったみたいです。消去法で選んでいった練習が兄にピタッとはまったという感じですかね。ほぼ奇跡に近いです。

M:ケガの功名というのでしょうか。50kmとか100kmとかを取り組むようになったのは鮮輝さんのウルトラマラソンへの挑戦をみて、弟ができるなら自分もできると感じたと聞きましたが。

鮮輝:
50kmジョギングは一緒にやることもあります。弟ができるなら自分もできると思っているところがあって、壁を破ることができたとは聞いています。

M:家族みんなの支えがあっての福岡国際マラソンということですね。

川内家:
うーん…。そんな感じはないですね(笑)。

母:
ケガはしているけど、もしかすると…という期待はないことはなかったので、福岡に応援に行ったのですが、現地に入っての捻挫をしたって聞いて、致命的だなと。

捻挫さえなければ、もしかしたらやってくれるかなという淡い期待みたいなものは持っていましたけど、捻挫をしたと聞いて、正直なところあきらめました。

鮮輝:
腫れていましたし、内出血もしているくらいの捻挫でしたからね。トイレから出てきて、本当に何もないところでグキって。せっかちなところがありますから(笑)。

鴻輝:
小さい頃からおっちょこちょいとは言えないようなことが多々ありましたね。

バスケットボールのジャンプボールで指を骨折したり、高校生の頃、自転車を猛烈にこいで、ブレーキをかけて一回転して、歯から地面に激突して歯を折ったり。

M:雨が冷たくてアイシングになったとコメントをしていましたが。

鴻輝:
麻痺したって言っていました。

母:
気温が高かったらどうなっていたか分からなかったって。色々なことが上手くいったのかな。ペースメーカーが上手く機能していなかったというのもよかったのかもしれません。

鮮輝:
奇跡的なことがはまったのかもしれませんが、この流れの中でもしっかり走れたということに手ごたえを感じて、それが活きたのが、先日の愛媛マラソンだったのかなと思います。

これまでの経験が形になってきて、今後、もっと面白くなると思いますよ。

M:川内選手がサブ10(2時間10分切り)を達成したのは全て国際大会や代表選考会だったはずですが、愛媛マラソンでサブ10って(笑)。

起伏もあるコースで、一人で引っ張って、スペシャルドリンクもなしで、独走して2時間10分切りってとんでもないことだと思います。

今回、美加さんも実際、愛媛マラソンを走ったんですよね。どうでしたか?

母:
かなりのダメージを受けました。初マラソン(2016年ゴールドコーストマラソン3時間48分39秒)が上手く走れたので、甘く見ていたのかもしれませんが、マラソンの洗礼を浴びましたね。

私にとってはすごくキツイコースでしたけど、長男(優輝選手)からすると、あれは中程度のキツさって言っていましたね。

―強さの原点

M:普段のご自宅での優輝さんはどんな感じですか。

鴻輝:
自分を押し通す力が強いなって。わがままとも言えるし、自分を持っているとも言えます。逆に自分の思い通りにいかないとイライラすることもありますね。

練習メニューが周りの環境のせいで狂ったりすると怒ったりすることも。

例えば、週刊誌の記者の方が家の前にいたりすると、やる気がなくなって、練習メニューを変更したりすることがあります。「本当にやめて欲しいわ…」って静かに怒っていますけど。

鮮輝:
スーパーマンだなと思います。隙間のない生活をしていて、走っていることだけに全力ではなく、仕事に対しても全力です。海外のレースから帰国して、休まず直行で職場に行くこともあります。

そこまでやらなくてもいいじゃん、ということにも全力で取り組むので、普通の人を遥かに超えたスーパーマンだなと。僕にはできないことなので、本当にすごいなって。

母:
細かいですよ。スケジュール表とかびっしり。大会があると、分刻みに近い計画を立てています。徹底しているなという感じです。

鴻輝:
去年のさいたま国際マラソンの解説をしたときは、事前の準備を恐ろしいくらい徹底していました。A3用紙両面3枚くらいにびっしり色々と書いていましたね。

母:
小さい頃から好きなことや凝ったことには徹底していましたね。子育ての中で何がそうさせたかはっきりとは分からないのですが、ジグソーパズルを与えると熱中していましたね。

ちょっとおとなしくして欲しいなというときはジグソーパズルを与えると何時間でもやっていましたね。

M:僕は今、幼児教育の勉強をしているのですが、幼少期の影響というのはあるようですよ。

母:
夢中になったときの集中力はすごいですね。

M:そして、小学校からは美加さんご指導のもとに、毎日がタイムトライアル。

鴻輝・鮮輝:
本当に毎日がタイムトライアル(笑)

母:
その当時はマラソンの選手になって欲しいとかそういうのはなくて、ただ、目の前の大会に向けて、いい結果を出すための練習という感じでしたね。今の時代ではあんなこともうできないでしょうけどね。

鴻輝:
当時もダメでしたけどね(笑)。犬の散歩をしているおじさんが助け舟を出してくれることもありました。でも、母の返り討ちにあっていました(笑)

母:
私も当時は夢中だったのでしょうね。

鴻輝:
母のすごいところは子どもがダメなときに、自分の教育方針が悪いのではなく、悪いのは全部子どものせいって思っていましたね。

鮮輝:
自責の念は完全になかったと思いますよ。

M:自分の信念を貫くというのは優輝さんに受け継がれている感じですね。

母:
男3兄弟だったので、成長とともに体力的なことを含め、男の子には負けちゃうじゃないですか。負けないためにもそういう感じだったのかもしれませんね、女の子がいたら違ったと思いますよ。

M:逆に今は、勝手に美加さんをマラソン大会にエントリーするってことが起きているようですけど。

母:
昔の仕返しでしょうね(笑)知らいないうちにエントリーされていますからね。この年齢になってまさかフルマラソンをやるとは全く思っていなかったですから。

M:美加さんのラストスパートをみると、優輝さんを彷彿させる走りですよ。

鴻輝:
追い込み方は兄と似ていると思います。先日の愛媛マラソンでも、レース後に歩くのが困難になりましたし、一週間くらい血尿に。長期合宿で血尿になった経験はありますが、1回のレースでそこまで追い込めるというのは…

鮮輝:
才能だね。

母:
走るのが怖くなっちゃいましたね。

鴻輝:
でも、レース後にテレビに「また走りたい!」って言っていたよね。

母:
そのときはまさかこんなことになるとは思わなかったから。リップサービスも含めて言っちゃったけど、言わなきゃよかったって後悔しています。