山﨑と松岡の演技で印象的だったこと
――松岡さんは「ダメ男を好きになる周りの友だちはみんなロングヘアーだから、監督と相談してエクステをつけたし、ラストの衣裳は彼に夢を見させてあげたかったから、出会ったころの服と髪で彼が好きな沙希を私も演じたんです」って言われていました。
ああ、永田の部屋を最後に訪ねてきたときですね。
――ええ。それを聞いて、そういうこともちゃんと考えながら演じられているのはスゴいと思いましたね。
松岡はホン(脚本)の読み方がすごく客観的で冷静なんですよ。そこに自分のできることをまず思いっきりぶつけてきて、やり過ぎだったら俺が抑えたり、「間がもう少し欲しい」って言ったりしたんですけど、彼女を見ているのは楽しかったですね。
最初のうちは、僕が思っていることと全然違うことをしてくるので、不安もあったんですよ。
――行定さんが不安になることもあるんですね(笑)。
でも、それが、だんだん楽しくなってくるんです。「次はどうするのかな~、松岡くん?」とか「どこに座りたい?」って聞いて、僕の方が彼女に合わせて考えを変えていくようなやり方をしていましたから。
それに対して、山﨑の方は言われたことの中でやるタイプだったから、さっきも言ったように、ふたりの関係性はものすごくよくて。
松岡は頭の回転が速くて、演出意図も瞬時に汲み取るので、このふたりがやっていることを撮りこぼしちゃいけないというある種の緊張感がありましたよね。
――ふたりのシーンで、ほかに撮影中に印象的だった出来事はありますか?
冒頭のカフェのシーンで、永田が「アイスコーヒー、2つ」って勝手に頼んで、沙希が「あっ、勝手に決めちゃった」ってケラケラ笑いながら「ひとつはアイスティーで」って言い直すシーンがあるんです。そのときの、「あ、えっと…」っていうリアクションをするときの山﨑が松岡の顔が見れないぐらい恥ずかしそうにしていて、目が泳ぐんですよね。
それがすごくよかったから、僕は山﨑をものすごく褒めたんです。
それは演出でできることではないし、「その感覚は僕が思っていた永田に近かった」。
でも、そう言ったら、山﨑は「えっ、どんなことをしてました?」って分からないわけです。
しかも、撮ったものをその場で見せたら「こんなことをしていたんですね~」って言うんだけど、「もう1回やったらまたできるでしょ」って聞くと、「たぶん同じになると思いますけど、こんなことをしていたんですね」って笑っている。
要するに無自覚なんです。無自覚だけど、笑おうとして笑えなかったり、猫背のまま歩く感じ、どうしようもない奴だけど、ピュアさだけは持っている人柄を醸し出していて、永田ってこんな人なんだろうなって思わせてくれる。
そこが、山﨑は圧倒的に優れているような気がします。
やっぱり泣けてくる、あのセリフ
――『劇場』は原作もそうですけど、男性と女性では感想が違うような気がしますし、永田と沙希の気持ちや言葉が突き刺さる人とそうでない人がいると思うんですけど、沙希が永田に終盤で言う「いつまでたっても、なんにも変わらないじゃん。でもね、変わったらもっと嫌だよ」ってセリフはなかなか書けるものではありません。
あのセリフは原作にほぼ忠実ですけど、又吉さんはなぜ、あんなセリフが書けたと思いますか?
まあ、言われたんでしょうね、きっと(笑)。たぶん、言われたんだと思うな~、「変わっちゃ嫌だよ」って。でも、それを言われると、やっぱりキツいですよね。だから、みんなの胸に突き刺さる。
それこそ、僕が敬愛する某映画監督は、観た直後にメールをくれて。あんなに興奮してメールをくれたのは初めてですよ。
観終わった直後の気分で「男の愚かさが余すところなく描かれていた。すべてが自分のことのようで、身につまされた」と書いてあった。
やっぱり、彼女が「変わっちゃ嫌だよ」って言う、そこでね。泣けてくるんです。
俺たちのように物を作っている人間は、結局、そう言ってくれる人がいない自分を保てないんだよねっていう話なんです。
――永田も自分の生き方や沙希に対する言動が間違っていることは分かっているんでしょうけど、変えられないんですよね。だから、いつまでこの生活や彼女との関係が持つんだろう? と思っている。
まあ、そうだと思う。でも、あれは作り手の心情でしょうね。
僕にしたって、先ほど話した某映画監督にしたって、又吉さんや蓬莱もそうだと思うけれど、毎回不安ですよ。
作品を発表したときに、どんな評価が下るのか? それによっては人気が急に下がるかもしれないし、誰も観てくれなくなるかもしれない。
そんな不安の中で、僕は未だに嫉妬もするし、人を傷つけています。
「なぜ、分かってくれないだ」って言いながら。それこそ、ネットの書き込みを気にして、けなされただけで落ち込むような我々なので(笑)、あとは僕ら作り手の覚悟でしかないですよね。
エンタテインメントや芸術と向き合って生きている人間は相当な覚悟をしなきゃいけない
――永田にはそんな行定さんの想いも投影されているわけですね。
今回のコロナで、エンタテインメントがいちばん最初に切り捨てられることが分かりましたよね。
「好きなことをやっているんだから、こんなときぐらい大人しくしてないさいよ」と言っているようにも聞こえるけれど、それに文句を言ったところで仕方がない。
ただ、エンタテインメントで救われている人もいるということを忘れてはいけないし、僕はその力をこれからも信じていきたい。だって、実際に救われた人間がここにいるんだから!
少なくとも僕は救われた。エンタテインメントや芸術に、人は救われるんです。それを信じるしかない。
――とてもよく分かります。
それだけに、エンタテインメントや芸術と向き合って生きている人間は相当な覚悟をしなきゃいけない。なのに、それが認められなかったら、その状況は死にも値します。
そう言うと、大袈裟だと思うかもしれないけれど、ひとりの人間にとっては大袈裟なことじゃないし、永田は特に、社会からなくてもいいと思われ、いちばん最初に切り捨てられるエンタテインメントの世界の中でも最低なクズのような人間ですからね。
そんな小っぽけな人間が、己の自我で大切な人ですら救えなくなるという。そこが、この映画を観て、いちばん感じて欲しいところです。僕はそこに、人間の根源が描かれていると思っていますから。
生々しく真実に近いラブストーリー
――そこが数多ある普通のラブストーリーと違うところですね。
普通のラブストーリーは格差社会や対立、差別がドラマの背景になることが多い。
恋人たちの悲恋が社会を浮き彫りにする構造が基本だけど、永田の場合は何もないところから自我を作り上げ、上手くいくはずだった生活に背を向け、沙希と傷つけ合ってしまう。
夢を諦めて、普通に働けば沙希も普通に子供を産んだかもしれないし、ふたりで昔のことを懐かしく思い出す幸せな生活を手に入れることができていたかもしれない。
なのに、永田はその道を選ばない。永田のそんな愚かさが、人間らしいと思いました。僕はそこがやっぱり面白かったし、それは自分も含めて、作り手の全員が身に覚えのある感覚です。
それを実感している人たちが、この映画を作るんだから、それはかなり生々しく真実に近いものだと僕は思っています。
――又吉さんも喜ばれていたそうですね。
自分のことだったりするから、客観的には観られなかったみたいだけど、「よかった~!」とは言っていた。「山﨑くんが演じてくれたよかった」とも言っていましたね。
「俺が永田をやったら相当最低な人間になっていたと思うけれど、山﨑くんの永田は思っていたより品がよかったし、原作と描き方が違うラストシーンも好きですよ。
最初はこんな最低な人間が主人公で大丈夫かな~? と思っていたけれど、素敵な映画になっていましたね」って。その又吉さんの感想は、とても嬉しかったです。
映画『劇場』は周知の通り、新型コロナウイルス感染症の影響で当初予定していた4月17日の公開が延期に。
それでも、映画を少しでも早く全国の観客のもとに届けたいと願う行定勲監督や関係者の総意で7月17日(金)から劇場公開し、同時にAmazon Prime Videoで全世界で同時配信することが決定!
これで映画館が近くにない人もすぐに観ることができるし、世界中の人たちとも感動を共有することができるようになった。
けれども、それが可能な人は、映画館で観ることをオススメしたい。その方が、クライマックスを原作小説とは異なる映画的な方法で提示する本作の感動がより倍増。
映画館の空間そのものが、あなた自身にとっての“劇場”になるはずだから。