そう、「ただただ怒っているだけで、可愛げがある子に見えなくなっちゃうかも」っていう不安は、稽古場での稽古が終わってから、ずっと考えていたんです。それは、

「そんなに、ずっと怒ってなくても大丈夫だよ」

って、指摘されて気付いたことでもあったんです。

自分では、怒っているつもりはないんだけど、6人の中で、誰よりも声を張って、大きく台詞を言って、声の高さも変えていたので、普通にしゃべっているときよりも、感情の振り幅が減ってしまっていたんです。

声のボリュームと高さが、上に行き過ぎちゃって、振り幅に余裕がなくなってしまったというか。

自分の中では、「ここまで下げて大丈夫なのかな」って不安になるくらい、下げてしゃべっていたんですが、録音を聴いてみると、思いのほか、ずっと上でしゃべっていて。

顔や身体の動きが見えていれば、感情の強弱がわかるかもしれないけど、録音の音だけ聴くと、全部が一本調子に聴こえるんです。

それが、声帯の調子を崩したことによって、セーブするところをセーブして、でも張るところは張ってと、差を付けられるようになって。

「あ…、ここまで声を落とすと、上げた時との振り幅がすごく広がるんだ」

って、初めて気付くことができました。

この作品の直前に、声だけで伝えなければならない「朗読劇」を経験していたのも大きかったと思います。

演者の感情がどう動いているか、目をつむって聴いている人にもわかってもらうにはどうすればいいか。考えた経験が朗読劇とはまた違う舞台ではあったけど、繋がるものがあったな、と思いました。

--今までの役柄で、声が出づらくなったことはありましたか?

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