居候先のパキスタン人家庭でカレーのレシピを覚えた
父の名は、柴謙司(2019年死去、享年75歳)。
いつどこでこの料理のレシピを習ったのかを説明してもらう前に、謙司さんがどんな人だったのか、娘さんに話を聞いた。
「寅さんみたいな人でした。寅さんと違うのは結婚したところ。結婚しちゃった寅さん(爆笑)」
寅さんみたいな人だった謙司さんは、娘に「さくら」と名付けた。
結婚しただけでなく、定職についたところも寅さんとは異なるようだ。
札幌にいたとき、ペルシャ絨毯の販売していたパキスタン人と知り合い、仕事を手伝っていた。
公私共にその方と親しくなった謙司さんは、1993年頃パキスタンへ飛んだ。
「弟さんの結婚式に招かれた父は、2か月ぐらいその方の家に居候しました。お手伝いさんがいるような上流階級だったそうです」
人様の家に居着いてしまうところなど、まさに寅さん。
居候中いろいろな料理をご馳走になり、そのうちのひとつのレシピを教えてもらった。
「『はじめて食べた味だったけど、どこか懐かしいカレーだった』と言っていました」
2000年に札幌に『カラバトカリー』を開業。
居候させてもらった、パキスタン人の家で長年継承されてきたカレーを提供することにした。
寒いところが苦手だった謙二さんは沖縄への移住を決意。
愛車で札幌から沖縄へ向かう途中、縁あって立ち寄った横浜市で『サリサリカリー』を2008年にオープン(その後、現在の場所に移転)。
カレー専門店もインド料理店もスリランカ料理店も欧風カレー店もメニューが豊富だ。
ところが、謙司さんはひとつのレシピしか教えてもらわなかったがゆえに、『サリサリカリー』では一種類しか料理を提供していない。
席に着けば、有無を言わさずサラダに続き、真っ赤な油が浮かんだカレーが運ばれてくる。
15~16種類のスパイスで鶏肉を長時間煮込んで仕上げる
「父が作ったこのカレーをはじめて食べたのは30年近く前。当時まだカレーがブームではなかったし、私自身スパイスにそれほど馴染みがなかったこともあり、ある意味衝撃的でした」
15~16種類のスパイスや炒めたタマネギ、鶏肉などを寸胴鍋で煮込む。
「夜ほぼ完成させたものを翌朝仕上げて提供しています」
骨付きの鶏肉を長時間煮込むため肉がホロホロ。骨についた肉がきれいにはがれる。
現在さくらさんと一緒に、さくらさんの娘みづきさんが店を切り盛りしている。
みづきさんが生まれたのは、謙司さんが札幌に『カラバトカリー』を開業する4年前。
謙司さんのカレーをはじめて食べたときの印象をみづきさんに尋ねた。
「物心ついたときからジィジのカレーがあったので、いつ食べたのか、どんな味だったのか記憶にありません。ジィジが作りはじめたカレーを毎日食べていますが、飽きのこない味です」
カレーらしくないカレー。けれど、飽きないだけでなく、癖になる味。
まったく辛くないが、食べ終える頃、身体が火照ってくる。スパイスの効果だと思われる。
インドの家庭料理研究家の知人によれば、インドの家庭では家族の体調が悪くなるとお母さんがスパイスを調合してカレーを作るそうだ。
パキスタンでもインドの家庭と同じように、スパイスの効能を考えたカレーが綿々と作られてきたのではないだろうか。
居候先の家庭で謙司さんが教えてもらったレシピもそのひとつ。
白楽周辺に住む人は身体の調子が悪くなったり、二日酔いの日は謙司さんのカレーを食べに足を運んだ。
謙司さん亡き後も、体調管理のために『サリサリカリー』へ通う人が少なくないという。