高雄の定宿でひと息
市内に両替ができる銀行もない田舎町・関山から大都会・高雄に来た私は、カラフルな広告が流れるLCDモニターや電光掲示板に目をチカチカさせてしまう。
2本の地下鉄を乗り継いで、高雄の定宿である『叁捌旅居』に向かった。
高雄港に近い、鹽埕(イェンチェン)というエリアにあるレトロなビルをリモデリングした民宿だ。
かつてのウェディング・サロンを三代目(オーナーの孫・ダニエル氏)がレトロモダンな宿へと作り替えた。
サロン時代の間取りやドレスの収納ボックス、トルソーなどをそのまま使ったインテリアのセンスのよさには脱帽してしまう。
鹽埕は1960〜70年代にかけて大いに栄えた港町だ。
日本時代も、そしてアメリカの第7艦隊が港に駐留した時代も、新しいものが真っ先に届き、人々の暮らしも文化経済も潤っていた。
華やかな時代はやがて終わりを告げたが、鹽埕には今も往時の空気が流れている。
そして、ダニエルのような若者が古いものを丁寧に磨き、味を出し、再び世に出そうとがんばっている。
昔ながらの商店街には何十年もパンを焼き続ける店や、サバヒー(台湾南部の白身魚)のスープを出す店が健在で、そのすぐ隣にはおしゃれなイタリアン屋台や、古風な雑貨を売るお店があったりする。
母と息子の緑豆チマキ
お昼はとっくに過ぎていて、夕食にはまだ早い時間帯。日本でもそうだが、営業中の店が少なくなるので食事に苦労する。
鹽埕の錆びついたアーケードを歩いていると、まだチマキの店が開いていた。
「店」と言っても、アーケードの下に看板をぶらさげて、通りの隅っこに細いカウンター席が3つ、4つあるだけの、屋台とも言えないような小さなスペースだ。
チマキは南部と北部で作り方や味がだいぶ違う。
この店のチマキはもちろん南部チマキだが、「茹でチマキ」という特徴のほかに、使われている食材も変わっている。
南部というより、この店のオリジナルらしい。
チマキは普通、もち米に肉や干ししいたけをプラスして笹の葉で包んだものだが、ここではもち米の代わりに緑豆を使っているのだ。
ポロポロとした、しかし茹でられてホクホクした緑豆でできたチマキに柔らかく煮たピーナッツが詰まっていて、さらにピーナッツ粉と甘いタレがトッピングされている。
こうなると、食事というよりおやつに近い。中途半端な時間帯なので他の客の姿はなく、私はカウンターを独占してもち米のチマキと緑豆チマキをゆっくりと食べ比べた。
店主の女将さんいわく、緑豆チマキは息子さんが考案したのだそうだ。
チマキ店の後を継ぐのかと聞けば、「息子はモデルなの、だからチマキ店なんか継がないわよ」とはにかんで笑う。
恥ずかしそうに、でも誇らしげにスマホの画面で息子さんの写真を見せてくれた。
台北のイベント会場で派手な衣装を着てポーズを決める20代のイケメン男性だ。きっと自慢の息子さんなのだろう。台北で活躍しながらも、母親が営むチマキ屋台の新メニューを考える。
南部チマキのようにあたたかい親子関係だ。
(つづく)