潔と凪それぞれのキャラクターの魅力とは?
そんな中での潔と凪の魅力を、浦と島﨑はどのように感じているのだろうか。
浦:潔はサッカーに対する真っすぐさみたいなところがすごく魅力的だと思っています。
凛と初めて会ったときも素直にボールさばきに感動していて、世界選抜と戦ったときも「行きたい……俺もあそこへ」って力の差を素直に受け止めて、自分がそうなるにはどうしたらいいかと考えるんですよね。
馬狼に対しても彼を変えようとするんじゃなくて、自分が変わって適応するっていう現状打破能力みたいなものがすごくカッコいいなと思います。人間としても尊敬出来るところが魅力ですね。
島﨑:潔の立ち振る舞いは声優の仕事においても理想的だと思うよ。
声優って本当にその場その場で即対応を求められることが多くて、例えばですが、大号泣し終わった5秒後くらいに、吹っ切れた次の日の朝のシーンが来るんですよ。そこから幼少期とか10年後とかもざらにある(笑)。
潔は試合中に、その瞬間で反応しながら対応しているので、考え方も含めて声優とかぶるところかもしれないです。
凪はやっぱり見た目も含めて設定がカッコいいですよね。
ただ、凪の深い魅力ってそこではなくて、この作品のテーマにもなっている奥底にあるエゴや熱量だったり、意外とあるコミュニケーション能力だったり、人への思いとかもちゃんとあるところです。
玲王や斬鉄との絆や潔との関係性から掘り下げたときに見えてくる凪というのが面白いですね。
“エゴ”は『ブルーロック』を貫くキーワード
世界一のエゴイストでなければ、世界一のストライカーにはなれない。
島﨑の言葉にもある“エゴ”は本作を貫くキーワードだ。潔はもともと、サッカーは全員でやるスポーツだという教えを叩き込まれていたが、そのことで生まれた後悔から自分でゴールを決めたいと考えるようになる。
一方、面倒くさいが口ぐせで日々を無気力に生きていた凪は、サッカーと出会い、“ブルーロック”でのライバルたちとの出会いを経て、執着心と向上力を見せていく。
浦と島﨑が本作の魅力として語るのも、その“エゴ”。
浦:なかなか切り込めなかったところに切り込んでいるところがすごいですよね。
上を目指すうえで、これくらいのマインドでいなきゃだめだよねっていうことと、“言っていいんだ”“頑張っていいんだ”っていうことをあらためて教えてくれているなって。
僕はこの作品って自己啓発本だと思っているんですが、本当に背中を押してくれる、哲学的で精神的なところを支えてくれるのが『ブルーロック』の魅力だと思います。
島﨑:ちゃんと人間を描いているから、自己啓発本って言えるものにもなるんだよね。
あと、これだけの人に刺さるのは、浦くんの言葉のとおりここまで自分を主張して“言っていいんだ”というのがあるんだと思います。
今の世の中、どこかやっぱり右に倣えのところがあるので、俺が俺がっていう“エゴ”の部分が痛快なんじゃないかな。
しかもちゃんと努力して足搔いている人たちが言っているから、刺さるんだと思います。“エゴ”って言うと悪く聞こえるかもしれないけれど、やっぱり必要なものですよね。
島﨑、浦にとっての“エゴ”とは?
では、声優の仕事においてもエゴはあって、それはやっぱり必要なのものなのだろうか。そのあたりを浦と島﨑に聞いてみた──。
浦:いいものを作っていくためのエゴはあると思います。
別の作品で、僕がやらせてもらった役のあるお芝居を監督さんがいいと思ってくださって、当初予定されていた表情よりももっとこうしたい、みたいなものが生まれたっておっしゃってくださったことがあったんですよ。
そのとき、それくらい相手を納得させられるようないいものを常に生み出していかなきゃいけない、生み出していきたいと思いましたが、それも自分のエゴなのかもしれないですよね。
もちろん自分の出すものが正解だから、僕の芝居に絵を合わせろとか音を付けろっていうことではないんです。
でも、そうやってセッションが出来て、より作品を良くしていけるだけの何かを自分からも出していきたいですね。
島﨑:エゴはいっぱいありますよね。この作品やこの役をより良くするためにこうしたいということは、日々の現場である気はします。
ただ、浦くんの話にもあったように、アニメーションって各分野のプロフェッショナルが作っていて、分業なんですよね。
便宜上、僕らは何々のキャラクター役って言わせてわせてもらったりするけれど、顔はやってないんですよ。
僕らがどういう芝居をしようが、アニメーターさんがどういう表情を描くかで変わって、走る速さも音響効果さん足音のSEをどういうペースで付けるかで変わるんです。
だからこそ各々のプロと、僕ら声の芝居のプロが同じ方向を向いて、それぞれがより良いものを提示していくことでさらに上にいけたらと思っているので、むしろエゴを出していったほうが面白いですよね。
この作品においてのエゴもただのわがままではなく、チームの勝利のため。その努力の過程として、必要になってくるものなんですよね。
そうした意味でのエゴは、責任も伴うもの。
そんなことを言うと、島﨑が「主体性っていうことなんでしょうね。主体性と自主性の違いって責任を伴うかどうかみたいで、主体性はそれを伴うもので自主性は伴なわないものらしいんです。
主体性っていうところでのエゴはありますよね」と話してくれた。
加えて、「責任を背負ってるやつは強くなるので、TVシリーズで主人公の潔 世一を任された浦くんもたくさんのものを吸収して、より強くなったと思いますよ」と島﨑。
そんなところから、最後にあらためてお互いを語ってもらった。
「信長さんは凪そのもの」
浦:僕はもう信長さんは凪そのものだと思っています。
「面倒くさい」って常に言っているっていうことではなくて(笑)、天才の部分で凪そのものだなって。
もちろん努力もされていると思いますが、完璧なお芝居をさらっとやられていて、本当にすごい方だなと思います。
同時に作品や役に対する熱量も本当に高くて、その中で僕のことも「そのままでいいから」って支えてくださって。
すごく頼もしい先輩で、一生頭が上がらないですね……。自分の声優人生を語るうえで、欠かせない方です。
島﨑:ありがとうございます(笑)。でも先輩って大きく見えるものなんですよ。
僕も先輩はずっと大きく見えていて、その先輩たちからいろいろなものをもらって、それを浦くんにも伝えてはいるけれど、思っているほど僕と浦くんに差があるわけじゃないから大丈夫(笑)。
浦くんも熱量のあるいい役者さんで、素晴らしいですよ。
いろいろなものを素直に受け止めながら、貪欲に吸収しているということでは、やっぱり潔と重なるところがあると思います。
これからも一緒にいいもの作っていこうね!
映画 『劇場版ブルーロック -EPISODE 凪-』4月19日(金) 全国ロードショー