「壱岐と紀州のマグロ」の鉄火丼
本には「大間のマグロ」が載っているが、今回試食したのは壱岐と紀州のマグロ。
早川さんいわく「(高級寿司屋で)握るクラス」の赤身。それを松本さんがリズミカルな包丁さばきで切り分け、タレにからめてご飯にのせ、わさびと海苔を添えて出してくれた。
引き締まった身からじわりと上質な脂が滲み、ツヤツヤと美しい輝きがある。しっかりとした歯応えがあり、なんというか“生きている魚を食べている”感じだ。
舌の奥全体に広がる旨味をずっと味わっていたくなり、飲み込んでしまうのがもったいないほど。
マグロもそうだが、どれも魚や魚介類特有の臭みがまったく感じられない。きっと「最もおいしいタイミング」が計算され、調理されているせいなのだろう。
“売りたい”と思った魚だけを売る
松本さんは網走生まれの旭川育ち。父親は魚屋で、旨い魚を毎日食べられる贅沢な環境にあった。ただ、小さい頃から魚が好きだったかというと、そうではない。
「3日に1回は手巻き寿司。だから今でも手巻き寿司は大っきらい(笑)。魚に興味はなく、食べたいとも思わなかった」
魚屋を始めたのは、仕事がなくなり、どうしようもなくなったからだという。
「初めはつまらないと思っていた。でも実家に帰って魚屋を手伝ったときに『おお、いい魚屋じゃないか、うちの店』と思って急にハマった。“ぽっ”と火がついたんです(笑)」
気に入らない魚は買わないし、売らない。「いちばんいいと言われるものがいいとは限らない」ので、有名ブランドの魚も自分の目で見、食べて良し悪しを判断する。だから、いい魚が手に入らなければ、店に魚が全然ない時もある。
最近では築地に元気がなくなり、いい魚を毎日仕入れるのはなかなか難しいらしい。
「それでもギリギリ、極上のものを選んでいる。何か売って儲けようという気は、松本さんにはない(笑)」
まるで孤高のアーティスト
仕入れや仕込み。そして自分で干物を作り、タルタルソースを作る。寝る暇はあるのか、と心配になるほどの手間のかけようだ。
「塩分の濃さは何%とか、そういうレシピは特にないんで(笑)。人に伝えるのは難しい。だから自分でやります」
一日中、魚のことを考えているのでは、と尋ねてみると、
「もう、ずーっと考えてます(笑)。夜の8時まで、それから夜中の12時からはまた、ずーっと考えてますね」。
売れ残った魚もけっして捨てず、惣菜にするか、食べる。スーパーなどでは、売れ残ったものはどんどん捨てられる。しかしそれは、松本さんにとっては許しがたい行為。魚への愛情の深さと、とどまるところのない探究心。なんだか、“あの方”と重なるような…。
松本さんは、「さかなクン」のことをどう思いますか?
「さかなクンは、スゴイです(笑)。尊敬してます。あの方はハンパなく、凄いと思います」
店に行けば、その静かな熱意に圧倒されるに違いない。