私? ない。ない。もともと、自分に自信がないから。そこが大きいですよね。自分に自信を持つことが、普段からできていないから。まずそこが大前提として、アニータとは真逆だし…。

--今までの役でも、どこかに影やとまどいを持っていて、アニータほど自信をもっている役はなかったかもしれませんね。

そうですね。アニータみたいに、もともと持っているものが陰陽の「陽」の要素を出している役は、自分でも初めてだったから。

宮澤佐江の名前だけを知っている人は「アニータのまんまじゃん!」って、言うと思うんです。でも、私のことを深く知っている人なら、「まんま…、じゃないよね?」って、思ってくれるみたいな(笑)

私自身「陰」の部分が強いです。でも人前では「陽」ばっかりですけどね!

--アニータの「陽」の部分は、恋人のベルナルドとのシーンでも描かれていると思うのですが、難しさはありましたか?

すごく難しかったです。

アニータは恋人のベルナルドと描かれている時間が、たった3シーンしかないんです。“ふたりは幸せだったのか”“愛し合っていたのか”を、どうしたら少ないシーンで表現できるのか。観ている方に、感情移入してもらえるにはどうしたらいいのか、難しかった。

ベルナルドとたくさん会話を交わせるのは、第1幕で「アメリカ」を歌う前の「ROOFTOP/屋上」のシーンだけなんです。

ふたりが愛し合っていたからこそ、アニータが彼を失ったときの悲しみや、マリアに苛立つ気持ちが出てくるのに、愛し合っているふたりのシーンがすごく少ない。。

でもそこは、舞台稽古中にベルナルド役の方と、ダブルキャストのもう片方のチームの舞台を観たときに、「あそこはこうした方がもっと伝わるかもしれない」って、同じタイミングで気付けたことがあって。それがすごく大きかったと思います。

ふたりで客観的に舞台を観て話せたことで、そこから「ROOFTOP/屋上」のシーンが、それまでとまったく変わっていったんです!

もともと「ROOFTOP/屋上」のシーンは、アニータとベルナルドが、ただの喧嘩をしているシーンとしてやっていたんです。

でも、本当に愛し合っているふたりの「いつもの言い合い」に見せるためには、強いだけの口調じゃダメなんじゃないかって。甘い口調に変えたり、距離感も近ければ近いほど、愛するふたりのいつもの喧嘩に見えるんじゃないかって、想像できたんです。

シーンには描かれていないけれど、演出家さんからは「アニータとベルナルドは、性的な部分でもつながりが強くて、セクシュアリティの相性もすごくいいふたりなんだ」って言われていて。

「そこがアニータと、ウブなマリアとでは違う部分。そこを知っているから、マリアとは年齢的にはそんなに離れていないんだけど、アニータは、より大人なんだよね」って。

でも、本当にそこまで観せられるシーンは、アニータとベルナルドにはまったくないから! そこを強調してやり過ぎちゃうと、2、3歳しか違わない設定なのに、すごく年が離れて見えてしまうから、それもイヤで。

アニータは大人ではなくて、やっと二十歳を越えたくらいの大人でもない、子供でもない「大人ぶってる女の子」みたいな感じ。でも、セクシュアリティな部分では「私は知ってるのよ」って、マリアに言わなきゃいけない。

こういう部分は、相手の役の方とのコミュニケーションがあってこそで、私だけでは出せないなと思ったんです。

舞台を観た方の、「セクシーなアニータが観られた」っていう感想は、ベルナルドがいるから、アニータがそういうふうに存在できているんだろうなって、思うんです。

--なるほど。相手がいるからこそ、そう見える。

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