脚光を浴びる人は一握り

息子はトイレの便器に強い興味を持っています。

けれども「男の子なんだから電車や車や恐竜に興味を持つべきだ、便器なんて変だ」と決めつけるのもおかしな話ですので、認めています。

息子は成人しました。“耳がいい”という特殊能力は今、何に生かされているかというと、「トイレの流れる水の音を聞いて、便器の型版を当てられる」ということくらいでしょうか。“利き酒”ならぬ“聞きトイレ”です。

スポーツ観戦が好きだけれども運動が嫌いな人、食べ歩きは好きだけれど自分で料理を作るのは苦手な人がいるように、耳がよくても音楽を奏でるのが嫌いな人がいるのです。

つまり、本人が好きなことと、持っている能力は全く別物であって、「好きなこと」と「能力」がかけあわさることで、「才能」になると思うのです。

才能を仕事に直結させなくても本人が楽しんでいればいい、そんな風に緩く考えた方が楽なのかもしれませんね。

存在しているだけで十分

定型発達の人だって、才能を開花させて脚光を浴びる人は一握りです。発達障害の人だって温泉を掘り当てられる人はごくわずかです。

でも、親は「才能が開花しなくても存在しているだけで価値のある子どもだ”と思う。優れた才能を発揮しなくても、どんなに小さなことでも、昨日よりもできたことを喜ぶ。」それで十分な気がします。

ストイックになり自身を追い詰めないようにしましょうね。ときには“何もしない選択”もありだと思います。皆さんはどうお感じになりますか?