実のところ、私もそうでした。

妊娠中は「お産が怖い」と言って泣き、出産後は「子どもが怖い」と言って泣き、「何を考えてるか分からなくて怖い」と家族に訴えましたが、夫にも夫の母にも理解してもらえませんでした。

一人目の母乳育児では、授乳回数や時間が定まらないことに悩み、グラフを作って「何らかの法則性があるはず」と思い詰めていました。子どもをキチンとマネジメントし、リスクを回避し、日常生活を子どもがいない時と変わらない質で回したいと本気で考えていました。

そのため定時刻授乳ではなく「不規則授乳」が本来の母乳育児の姿であること、適当に、泣かれたらあげるだけでいいんだ、ということに気が付くまで、ずいぶん時間がかかってしまいました。

考えてみれば、赤ちゃんが欲しがっているのは必ずしも「乳汁」ではない。栄養不足で泣いているわけじゃないことが多いのです。ママの匂い、肌触り。語りかける声。抱き上げてもらって身体が持ち上がる感覚。それらすべてが「おっぱい」。

だから「おっぱいとだっこ」は本来セットで、時計とにらめっこしながら決まった時間だけ与えるものではないんですね。それが分かっていれば、あんなに頭が固くなければ、おっぱいライフをもっと楽しめたのに、と思います。

そんな“頭で考えるママ”だったからこそ、子どもを連れていてイヤな目にあう体験が多かったんだな、と今なら分かります。

だって、予定通りに物事を進めたい人にとっての「子ども」は正体不明で毎日変化する、言い方は極端かもしれませんが“悪魔”のようなもの。“悪魔”との生活はトラブル続きでしかない。

じゃあ、そんな彼らと共存するにはどうしたらよいのか。

子育て奮闘中の親御さんなら、もうお分かりですよね?

ママがもっとラクに!赤ちゃんと一緒に笑顔になるために!

竹中:「自然と共に生きる=予測がつかないことを前提に生きていく」、つまり「この先どうなるかわからない状態に慣れる」しかない。少なくとも私はそう思えるようになって、やっとラクになりました。

ただ、そのためには「いいかげん」な状態でいくしかない!と「開き直る」ことが重要で、頭でっかちなママは特に、「努・力・し・て!いいかげんになる」必要があります。そこができないとラクにはならない。

ママがラクにならないと、赤ちゃんも辛い状況のままです。ママが笑顔になれば、赤ちゃんも周りの人たちもみんな笑顔になれる。

だから、
「いつ抱っこをせがまれるのか、おっぱいを求めて泣き出すのか、子どもの様子を見て動くしかない」
「子どもは予測がつかない“自然”そのもの」
「どうなるかわからないのが“普通”なんだと思っていれば、大丈夫」

ママも、また周りの人たちも、そのくらいに思っていた方がいい。

子どもという“自然物”を、そしてその“自然物”を連れている子連れの人たちを、無理に枠に入れて管理しようとするから苦しむのですから。

今回の「公共の場での授乳」の件で、つくづく思ったことは……自然物の自然な要求に添えないことが多い環境の中で「みんな悩んでいるんだなぁ」と。

バカの壁』で有名な養老猛先生の言葉に、「大変なことや疲れることは、考えてみれば全部人間が決めたこと」というのがあります。

でもその弊害を解決する方法を考えられるのも、また人間なのではないでしょうか。

例えば最近は「イクボス宣言」や「働き方改革」などがあります。ママと赤ちゃん、それに周りの人も、みんなが笑顔になれる方法。少子化の社会だからこそ、これからたくさんのアイデアが出てくるのではないか。出てきてほしいな、そんな風に思っています。

そして最後に、そんなアイデアのひとつとして。

こうした問題に打開策はあるのか。ずっと考えていたのですが「もしかしたらヒントになるかも」と思った制度があるので、ご紹介させてくださいね。