「マーダーミステリー」でしか体験できない面白さとは?

「参加者全員で物語を作っていく感じが新感覚」と語る眞形氏 撮影:稲澤朝博

――「MM」をやったことがない人に向けて、言える範囲内でほかのゲームにはない面白さを語っていただけますか?

眞形 例えばある「MM」の台本を渡されて、5人でプレイをすることになったとします。

そのときに、僕だけが知っている情報と歌広場さんが知っている情報、ほかの方々が知っている情報が与えられるんです。

その個々の情報を、誰が、どのタイミングで誰に伝えるのか? それによって物語が変化するんですよ。同じシナリオでも、全然違うものになるんですね。

その参加者全員で物語を作っていく感じがいままで体感したことのないものなんですけど、それぞれの秘密や嘘、犯人は一緒なので1回しか遊べないんです。

でも、それも含めて新感覚の面白さだと思うし、この2年間に日本でも500のシナリオが生まれたと言われているので、必ず好きになるシナリオと出会えると思います。

――「予定調和ではない、変化するストーリー」と「別の人格」になれるところが魅力なわけですね。

歌広場 そうですね。当たり前のことですけど、映画や漫画は登場人物に呼びかけても反応がないし、「そっちに行ったら危ないよ!」と言っても意味がない。

でも、「MM」の場合はそこにちょっと関与できるんです。

“そっちに行くと危ないから、こっちの道に行こう”って考えてキャラクターとして演じますからね。

もちろん、「MM」も予め“そっちは危ないから”というストーリーに基づいてその判断をするので決して自由な選択ではないけれど、「MM」ではふたつの道の間の道を通ることも可能です。

それは、ほかのゲームではできないことですよね。

実人生でできなかったことを「MM」でやれる

――そこだけはストーリーに縛られることなく、自分で選ぶことができるってことですね。

歌広場 そうです、そうです。そういう意味では、多くの人はエンタメでも何でも、本当は自分で選んでいないのかもしれない。

気になるものを選んで、自分で作るクリエイターと違って、普通の人はすでに作られたものを観ることしかできない。

そう考えると、「MM」はすごく大人のゲームだと思います。少し語弊があるかもしれないけど、物事を自分で決められるのが大人だと思うので。

――その、自分で選択して人生を決めていくところに歌広場さんはハマったわけですね。

歌広場 はい。それにいまの時代、本名以外にハンドルネームなどの名前や肩書をみんな持っていますよ。

僕も普段は「歌広場淳」としてステージに立ったり、メディアに出たりしているけど、本名は違うし、家族には「淳」って下の名前で呼ばれている。

眞形さんも、僕にとっては普通に「眞形さん」だけど、「人狼ゲーム」をやっているときは「人狼伝道師」で、いまは「MMプロデューサー」じゃないですか?

それって同じ人物だけど、全員違う人格みたいなものですよ!

眞形 そうですね。

歌広場 それと同じです。昔やりたいと思っていてできなかったことを、「MM」でできたら楽しくないですか?ってことなんです。

――実人生でできなかったことを「MM」でやれるわけですね。

歌広場 そうなんです。しかも、それが特別な感じじゃないんです。

僕は演技のレッスンをこれまで一度も受けたことがないんですけど、「MM」は演技をする、しないの次元を超越して、別の人生を自然に生きるようなシステムになっているんです。

謎解きや犯人探しを超えた、高次元の感動!

「MM」ゲーム素材の一部。カードを使って情報交換をしていく。

――「MM」には謎解きや頭脳戦の面白さもありますよね。

歌広場 それもあります。ただ、僕や眞形さんみたいなタイプはゲームに勝つことよりも、そのシナリオの人生を体験するのが目的なんです。

――この場合の「ゲームに勝つ」の「勝つ」は犯人を当てるってことですね。

歌広場 そうです。犯人役の人は自分が犯人だとバレないように逃げる。

それ以外の人たちは真犯人を探すのがゲーム全体の目的なんですけど、僕たちはぶっちゃけ、そんなことはどうでもよくて。

真犯人が例え見つからなくても「面白かったね、このチームのMMは」ってみんなで言えればいいんです。

眞形 その感覚はすごくよく分かります。「MM」の参加者には、ゲームに勝ちたくて、ゲームのシステムっぽくプレイする人とその物語を楽しみたい人で、なんとなく二分されますけど、僕も後者ですから。

歌広場 ただ、誤解して欲しくないのは、その「面白かったね」というのはふざけた面白さや、みんなでワイワイやれて楽しかったというものとは違うということ。

そうじゃない。「MM」ではひとりひとりが自分のキャラクターについて真剣に考えて、一生懸命その人を生きるから、こうしたらみんなビックリするかもしれないということも閃いたりするんですよね。

そこは個々のセンスも関係してくるけれど、そのセンスとセンスがぶつかり合ったときに想像してなかった感動的なドラマが生まれることもあるから面白いんです。

それはゲームの目的を満たすことよりも遥かに高次元のことだし、みんなが満足するものが作れたら、それが「眞形さんともう1回MMで共演したいですね」「歌広場さんとまたご一緒したいですね」という関係性に繋がっていく。

その喜びがあるので、続けているんです。

眞形 僕と歌広場さんは一緒に「MM」をやったことがないけれど、歌広場さんは恐らくその人物になりきって、この人物だったらこうするだろうなって考えてプレイすると思うんですよ。

それができる人と「MM」をやると、とんでもなく楽しいものになるんですよね。

歌広場 そうなんです。

眞形 僕は役者さんや声優さんのような演技の能力に長けていて、シナリオの読解力が優れた人とプレイすることが多いんですけど、その人たちとやるといつも面白い。

歌広場さんにも同じ匂いを感じます(笑)。

歌広場 ただ、自分が関与していない人たちの言動が楽しくなるかどうかの保証は正直ないから、「MM」をやる場合は、この人とやったら面白くなりそうという人とやるのをオススメします。

眞形 残念な結果に終わることがありますからね。

歌広場 さっき話したように、「勝ち」に固執した参加者はゲームを面白くするために設定された秘密を隠し続けるから、ストーリーが転がらなくて、例えその人が勝っても釈然としない後味になることがあるんです。

逆に、犯人がひとり勝ちして悔しくても、全員が持てる力を尽くしたから面白かったよね~という内容になるときもあって。

それが味わえるかどうかは、実は一緒にやる人に関わってくるんです。