“夢”や“希望”を真っすぐに歌えるのがアニソンのいいところ

奥井雅美 撮影:源賀津己

奥井 私が子供の頃は、アニソンシンガーって括りもなく、“まんがのうた”を歌っている人だったんですよね。“アニメ”って言葉もなかったけど、アニメの主題歌のレコードはいっぱい持ってたんです。堀江美都子さんの『キャンディ・キャンディ』とか。

大人になってバックコーラスの仕事をやっていたときに、キングレコードで林原めぐみさんの仮歌を歌う仕事をさせてもらったり、レコーディングのコーラスをしてたんです。

そうしたら、それを聴いたレコード会社の方に「1回歌ってみない?」って言われて、それで記念になるからってくらいの感じでバイト感覚でデビューしたんです。

その頃は、そういうのを専門でお仕事にされている方がいるっていうのも堀江さんしか知らなかったし、「あのような感じで歌うのかな」って思って……。

『GET OVER -JAM Project THE MOVIE-』 © 2021「GET OVER -JAM Project THE MOVIE-」FILM PARTNERS

最初の頃は楽曲の方向性もありますが堀江さんみたいに私が思う“正統派”な歌唱方法を真似てやってみたんですけど、やっていくうちに「詞や曲も好きに作っていいよ」ってなって、「この歌もやりませんか」とかだんだんお仕事のようになってきて……。

せっかくやるなら、J-POPのテイストを取り入れたらどうか? 踊れるものや好きな歌謡ロックのテイストを入れたらどうか? みたいな感じで自分たちのチームでやり始めて、気づいたらJAM Projectにも入って、こんなにも長くやってる生活の一部みたいになってしまったという感じなんですよね。なって“しまった”と言うと、イヤみたいですけど。

影山 イヤだったんだな(笑)?

奥井 イヤじゃないです(笑)! まさかこんな生活の一部になるなんて思ってなかったし、特に女だから……男の人って歳をとって歌ってもかっこいいけど、女性でかっこよく歳を取りながら現役でいるというのはすごく難しいなと思ってて。特に前に出ている人間は。そこが今の自分の課題でもあるんですけど。

アニメソングってさっき兄さんも熱く語ってくれましたけど(笑)、私が歌詞を書き始めた頃は、“夢”とか“希望”とかこっ恥ずかしくって、アニソンくらいでしか歌に乗せて言えないんじゃないかなって思ってたんです。真っすぐにそれを恥ずかしくなく歌えるのがアニソンのいいところだなと思います。

もうひとつ、ポリシーとして自分で持っていたのは、ネガティブな歌詞の作品もあるかもしれないけど、最終的にネガティブな中にもひとつの光が見えるように、歌詞の中で終わらせることを心がけていて。今でもJAMで詞を書くときもそうだし、普段からそういう作品が好きですね。

遠藤正明 撮影:源賀津己

遠藤 僕もアニソンシンガーになりたくて今があるわけじゃなく、兄さん(影山)と同じ事務所に入って、レコード会社の社長に「歌ってみないか?」と言われたところから始まったんです。

よく聞かれるのが「アニソンを歌うのと、自分のバンドで歌うときの違いってどこですか?」という質問。僕、分けたことはないんです。音楽にジャンルはあっても、歌にジャンルがあると思ってないので。そういう感じで歌ったことは今までもないし、これからもないだろうし、そういう意味では「アニソンだから」とかって意味は自分の中には全然なくて。

映画の中でも言っているけど、僕がアニソンを歌わせてもらうようになった頃は、世の中で“アニソン=オタク”みたいなイメージが強かったんですよね。

胸を張って若い子たちが「今日、アニソンのライブ行く」とか「このアニソン、すごいんだよ」って言える時代になればいいな、そこで僕らがアニソンを歌えるんだったら、そういう世界にしていきたいなと……力不足かもしれないけど、そういう世界になればいいなと思って始めたんです。

今、LiSAちゃんだったり、アニソンが市民権を得た時代になって、若い子が「アニソンシンガーになりたい」と夢を語ってくれるんだったら、それはすごく素敵で、僕らも何か力になれているなら嬉しいなと思います。

『GET OVER -JAM Project THE MOVIE-』 © 2021「GET OVER -JAM Project THE MOVIE-」FILM PARTNERS

「ここまで続けてきたからこそ」20年目のマンネリズムや葛藤

── 映画の中で、メンバーみなさんとスタッフのみなさんが一同に会したミーティングのシーンが印象的でしたが、どういう経緯で行われたんでしょうか?

影山 あれは2020年の年明けてすぐ、どこかのタイミングだったと思いますが……もうツアーのチケットは一部、売り出されていたよね?

今思い返せばなんですが、自分たちがマンネリズムをもてあまし始めていた頃だなと思います。だからみんな、苦しんでいたんだなって。僕らもスタッフもね。

「JAMはこういうことをしなきゃいけない」「こういう存在でいなきゃいけない」みたいなことで、ちょっといっぱいいっぱいになってたんですよね。

── メンバーのみなさんも同じような思いを抱えていたんでしょうか?

奥井 体力的なこともあって、こういう激しいこと、ツアー20本とか、これできるのかな?って思いはあって。そういう話をする中で、「みんなは、もうJAM Projectのライブを見たくないのかな……?」と思ってしまったところもあったんですね。

20周年で全国津々浦々に行こうとしていて、今はあんまり聴いてなくても何年か前まで聴いてたよって人にも来てほしいと思ってたんですけど。

苦しんでいる──どうやって続けていったらいいのか?という思いもあったし、一方でそんな気持ちって言えないじゃないですか? あの頃、そういう思いを分かってほしいという気持ちはどこかにありましたね。

影山 ここまで続けてきたからこそ、無理していたところはあったと思うんですよね。自分たちもそれは感じていたし、あのミーティングでの福ちゃんの「知らない間に重くなっちゃってる」という言葉──あれは映画を観終わってすごく残りますよね。

ソングライティングの面でも、今までやってきた得意なコード進行に行っちゃったりして、「あぁ、これはよほどじっくりやっていかないと、このマンネリズムを脱出するのは並じゃねぇな……」と思っていたのがあの頃でしたね。