「災害」と「授乳」「赤ちゃん」共通するキーワードは「自然」&「制御不可応」

かもん:「授乳」も動物、哺乳類として当然の行為であり、本来“アンコントロール”な自然の営みですよね。

「授乳」ひとつ取ってみても、自然の営みであるのに「社会の都合に合わせよ」とばかりに時間を区切ってみたり、場所を決めたり、あるいは「予想する流れに沿って事態が動き、結果も予想通りでなければならない“現代社会”」にそぐわないものとして排除する動きは、「災害」を“制御”しようとする捉え方と同じ根を持つようにも感じます。

言い換えれば「公共の場での授乳」問題は、人間の都合が良いように作った管理された社会に、自然本来の“アンコントローラブル”な要素が入り込んだ時にどうなるか、如実に示してくれているともいえるのかもしれません。

自然への恐れ、畏敬の念みたいなものを、文明の名のもとに捨ててはいけないと思いますし、それは非常に危険なことでもあるように思うのです。

自然本来の“アンコントローラブル”を排除せず、そういうものとして認識して対応策を冷静に考えられる、それが「災害に強い社会」をつくることにもつながるような気がします。

――「自然を制御することはできない」と受容し、その認識の上でできることを考える、ということでしょうか。

かもん:具体例でお話ししてみましょうか。

「自然すべてをコントロールするなんてそもそも無理」から始めることで新しい対策が生まれる

かもん:「赤ちゃん」は自然ですので、お腹が空けば泣くことで表現し、誰かの手が差し伸べられるまで、要求が満たされるまであたり構わず泣き続けるわけですが、例えば長時間のフライトで延々泣き続けられたら周りの客の迷惑ということで、あらかじめ睡眠薬を飲ませておく、なんてケースがあると聞いたことがあります。

これは「迷惑だから赤ちゃんを泣かせない」、赤ちゃんが泣くことを、人間が制御できることとして処理した、自然を人間の都合の良いようにねじ曲げた結果だと思うんです。

でも逆に「赤ちゃんは自然、コントロールなんてできない」「赤ちゃんは泣くもの」という前提で考えれば、どういう対応ができるか。

あるご夫婦は、事前に小さな袋に少しずつキャンディを詰めて乗客みんなに配り、

「こんにちは!ボクたちは生まれて14週間の双子の兄弟です。飛行機に乗るのは今日が初めて。お行儀よくするように頑張るけど、もしも落ち着かなくなったり怖くなったり耳が痛くなったりして迷惑かけたらごめんなさい。ママとパパ(別名:歩くミルクマシーンとおむつ交換機)が耳栓を用意しています。みなさんが素敵な旅をできますように!」


とメッセージを付けたそうです。

――そんな対応が!これは乗客の皆さんも思わず笑顔になってしまいますね。明らかに前者とは異なりますね。

かもん:地震などの災害も同じく「ごく当たり前に起こるもの」「人間の想定なんて大したことない」「自然すべてをコントロールするなんてそもそも無理」という認識がとても大切だと思うのです。

その前提の上で、大切な人の命、自分の命を守るために、自分なりにどんなことができるか。そう考えることができれば、自然をねじ伏せるようなことではなく、飛行機でキャンディを配ったパパやママのような画期的な対応策を生み出すことだってできるのではないかと思います。

「防災リュックに『授乳服』を入れておこう!」というのも、自然をそのまま受け入れつつ状況を改善するという意味で、そういった考え方に重なる対策といえるかもしれませんね。

――では私たちはいま、どんなことから手を付けたらいいのでしょうか。ママにできることを、教えてください。